ぷよねこ日々御留書 since2023

「にちにちおとどめがき」 毎日更新 日々の記録です。

2026年6月6日(土) 長居植物園〜特別展「鳥」〜映画「霧のごとく」

 

今日は仕事のことは忘れよう。

朝3キロジョグ&ウォーク。

御前浜の草むらにきれいなジャコウアゲハが舞っている。

写真を撮ろうとしても、なかなか静止しないし、予測不能な飛び方をするので難しい。

shioshioessay.hatenablog.jp

いつもより少し早めの昼食をとり、阪神電車経由で地下鉄御堂筋線で長居駅まで行く。

阪神電車も交流戦があるので混み、久々に乗った御堂筋線も混んでいた。

梅雨の晴れ間だからかな。

長居公園は家族連れメインでかなりの人出、セレッソの試合があるせいだろうか。

 

目的は二つ。

長居植物園で咲き誇る睡蓮(我が家のマイブーム?)を見ること。

自然史博物館で開催中の特別展「鳥」を見に行くこと。

 

結果は…

睡蓮は半分咲いて半分閉じてました。

それでも、大好きなジャカランダの花やデイゴの花が見られて、まいいか、って感想っす。

 

そして…特別展「鳥」。

この手の展示は広々とした会場で、じっくり、ゆっくり見て回ってナンボだけど、

百貨店の展覧会場よりも狭い。

窮屈に鳥の剥製が並べられているだけというトホホな展覧会。

家族連れを中心に無駄に激混み、展示をゆっくり見られず。

これで1800円はない。

“一生分の鳥が見られる” というキャッチには大いに異を唱え抗議したい代物でした。

ヒロ曰く「奈良の「吉野大峯展」に続いて、ここんとこ連敗だね。」

無駄に疲れた。

 

WEB記事でこんな写真を見た。

ここんとこ睡蓮にハマっている我が家としては、特別展「鳥」を見に行くなら植物園も行こうとなった。

クリームイエローと赤紫の睡蓮の花のコントラストは六甲にはない。

 

読売新聞WEB地方版より。

つゆの晴れ間、水辺に集まるは日傘の列。

睡蓮は確かに咲いていた。

咲いていたが…

奥のクリーム色のスイレンは咲いている。

午後2時、すでに紅紫の花はすべて閉じていた。閉店ガラガラ状態。
午前中に行くべきでした。

紫陽花エリアは混雑するので遠巻きで眺める。

左奥、パームツリーの下に紫色の花が…

ジャカランダの花が満開だった。
和名は紫雲木(しうんぼく)、南半球の花というイメージあり。

auvibes.com

ジャカランダの隣りにデイゴの森があった。
これはヒシバデイゴ、原色が目に眩しい。

 

         



これまで行った展覧会でも 期待外れ度 断トツマックスでした。

 

失望した「鳥」、ふと思った。

僕は何を期待していたのだろう、と。

最近、仕事でもそう考えることがある。

何を期待して失望するのか。

このトシになって…。

何も期待しないで生きたら楽だろうか?

でも、きっと楽しくないと思う。

燃え殻さんがエッセイに、自分が尊敬する大人(金魚屋の店主)の言葉を金言として上げていた。

 

「好きなことをしたらいい。

 あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。

 そのうち時間になって、どこかで終わりが来るから」

 

ゲームオーバー?

そうだね。

 

3日後に心配なロケを抱えてる身としては、疲れに敏感になる。

日程を考えて今日しかなかった。

そして、満員電車での移動や、超混雑のイベント会場は疲れの元凶になる。

どこにも寄らずとっとと帰ることにする。

帰って全力で休もうと思った。

 

 

なのに、夜中にNetflix配信の映画「大濛(日本公開タイトル「霧のごとく」)」を見始めたら止まらない。

濛(もう)は霧雨、薄曇りの状態を指すらしい。

主人公の兄が絵本のタイトルにつけたのが「大濛」だったか。

見始めて…これって愛読するブログ「特別な一日」にレビューが載っていた映画だ!と気づく。

レビューを読むと一度観たように思いこむ。

 

 spyboy.hatenablog.com

 

久々に観た台湾映画はいっき見の傑作でした。

去年に高妍「隙間」(全4巻)というコミックを読んで、この映画の背景は分かっていた。

…とエラそうなことを書くが、二・二八事件のあらましを知ったのはそのコミックだった。

僕が生まれる10年前、日本が戦争に敗れ台湾から撤退、その後の蒋介石の台湾支配とはこういうことだったのか、と。

レビューは「特別な一日」他にも、素晴らしいレビューが多々アップされているので、

その方たちに丸投げするとして、

いい映画を紹介してもらえたと感謝したい。

登場人物も、演技も、演出も、映像も、水準以上のレベルで見せてくれる。

出来れば最初から劇場で見るべきだった。

昨今、台湾有事などと騒がしいが、台湾に住む人々は今同時に生きているあらゆる世代が、

つい最近の出来事として、それぞれの世代が犠牲を払い、生きてきたのだ。

『霧のごとく』のラストに流れる年号は、単なる演出上の数字ではない。それは、台湾の人々が一歩ずつ暗闇を押し開け、自由と民主主義をつかみ取っていった足跡でもある。

映画の中で、阿月は兄を失った痛みを背負いながら、時代の流れを見つめ続ける。その外側にある現実の歴史は、今日の台湾に生きる人々が享受している自由が、どれほど大きな犠牲の上に築かれてきたのかを静かに語っている。

映画『霧のごとく(大濛)』ラストの「数字の羅列」が意味するもの 台湾白色テロと民主化の軌跡 | 魏甫丞(ガイ・フシン) | ニュース - 風傳媒日本語版

 

関係ないけど、映画にいとうせいこう出てなかった?(笑)

特務警察の男…。

 

色々とちょっと期待外れの一日だったが、終わり良ければすべて良し。

ちょっと就寝は遅くなってしまったが、明日は終日雨予報、自宅で身体を休めよう。