ぷよねこ日々御留書 since2023

「にちにちおとどめがき」 毎日更新 日々の記録です。

2023年6月10日(土) 半休養日のささやかな愉しみ

 

ひとつ峠を越えたので今日は半休養日とする。

完全休養日にしてしまうと不安なので仕方ない。

いざという時の瞬発力(ふんばり)や集中力(ねばり)がないという自覚がある。

ラソンの距離でいうと3㎞くらいでも前に進めておく感じ。

というより停まってしまうと再起動が辛いという皮膚感覚か。

 

午前中はダラダラ。

でも、せっかくの半休なのでひとつくらいは愉しみを(自分で)用意した。

市立あしや温泉へ行く ➡ 市立芦屋美術博物館で特別展を観る

これだけ。

ささやかな愉しみ。

 

あしや温泉は老人の巣窟(自らもそのひとり)だった。

でも、僕は常連ではないのでグループには入れない。

4人くらいでいい感じでくつろいでいる。

群狼ならぬ群老。

グンゼの風呂はぬるめの40度以下くらいだが、ここのメインはちょっと熱めの41度以上ある。

隣の源泉はめったに入らないが、43度から44度だ。

ちょっと熱めに入るくらいの方が疲労が抜けていく感覚がある。

血流がめぐる。

ある種、ショック療法だろうけど。

さっぱりして自転車で1分の美術館へ行く。

4時半で閉館まで30分しかないがいいのだ。

自分以外誰もいない“風呂上がり”の美術館、贅沢な時間です。

 

www.fashion-press.net

全く予備知識なくたまたま開催中の特別展を観た。

(高齢者割引で半額の400円でした)

芦屋画壇の中心人物であったらしい伊藤継郎(つぐろう)という人と、彼と関係のあった画家たちの画が展示されている。

 

芦屋の地で描き続けた画家、伊藤継郎(いとうつぐろう 1907-1994年)をご存知でしょうか。
伊藤は大阪の画塾で学び、1928年に芦屋へ転居、この地にアトリエを構えます。複数の美術団体展に出品して研鑽を積んだのち、1941年に新制作派協会(現・新制作協会)へ入会、発表の拠点と定めました。温厚な人柄の伊藤を慕って、芦屋のアトリエには画家仲間や文化人が集ったほか、絵画教室も開かれ多くの人々が学びます。

伊藤の絵画は、日常の一場面や人物、動物、旅先の風景や異国の人々など、自らが心惹かれたモチーフを見つめ、愛情豊かに描くものでした。友人の小磯良平は、伊藤のモチーフのとらえ方を「眼の前にあるものが彼の頭の中を通過することによって、忽然として彼の造形に変化して出て来る」その絵肌は、絵具をあつかう独自の方法によって、実に質感豊かです。「ものを見て、絵具で描く」―伊藤はこれ以上なくシンプルな絵画のあり方を探求しましたが、生み出したのは、彼にしか描けない絵でありました。

 

    



なによりも伊藤継郎という人の絵がよかった。

仲間の小磯良平や黒田重太郎、村上三郎らの画よりも数段、印象に残った。

 

30分間、誰一人と会わない極上の空間

左の2枚が村上継朗「ギリシャの老人」(1968年)

村上は戦争中に満州に渡って将校らの子息の教育係をしていた。

当然ながら戦後はシベリア抑留を体験している。

三十代半ば、まだ体力もあり、1年後に帰国した。

妻は死に、ショックでしばらくは芦屋で療養していたという。

 

芦屋の自宅から庭を覗いた風景 この画が心に残った。

 

帰宅後、御前浜を散歩する。

バーニーズ犬の大小二匹が散歩していた。

かわいい。

たまらん。

ストーカーしがち。

 

 

夕食後、ブラタモリを観る。

ぶらぶらしたのは大阪梅田。

地下街は梅田ダンジョンと呼ばれているほどの迷路。

僕らは少しずつ発展していったのを見ているのでそうは思わないが、確かに四方八方無秩序に拡大している。

少しだけ2本目のテロップ原稿を書く。

フルマラソンにたとえたら1㎞くらいは走ったことになる。

明日は5㎞くらいは進もう。