ぐずついた空模様、まだ2月なので寒の戻りという表現はふさわしくないが、今日は冷えこむ。
午前中は家で過ごす。
日録、福島旅行の写真の整理、インタビュー動画の編集…。
昼前に図書館へ。
いま興味津々の戊辰戦争関連の本を3冊、早川義夫のエッセイ集を2冊、
予約しておいた「人は何歳まで走れるのか?」の計5冊を借りる。
午後から大阪へ出る。
先月始めにヒロと「テート美術館展」を観に行った中之島美術館へ一人で行く。
寒空の下、大川沿いを歩いて20分ほどか。
館内は混んでいた。
「モネ展」を同時開催しているのだ。
編成M氏にもらった招待券で入る。
『女性画家たちの大阪』@中之島美術館
ことし「テート…」「若冲…」「円空…」と4つ目の美術館です。
約百年前の大阪では多くの女性日本画家が活躍しました。大正元年に島成園(しま・せいえん)が二十歳で文展に入選すると、その成功に触発された木谷千種(きたに・ちぐさ)や生田花朝(いくた・かちょう)なども官展に入選を重ねます。また、美人画や歴史風俗画に加えて、江戸時代から大阪に興隆した南画(文人画)の分野においても、河邊青蘭(かわべ・せいらん)や融紅鸞(とおる・こうらん)などが実力を発揮しました。成功を収めた女性画家は、自らの画業を追求するにとどまらず、後進の女性を育成するため画塾を開きます。門下生たちも師に続いて公募展や塾展に挑み、大阪の女性画家の裾野はさらに広がりました。当時の美術界は、東京と京都がその中枢を担い、制作者は男性が大多数を占めていましたが、女性日本画家の活躍において大阪は他都市と肩を並べており、その存在は近代大阪の文化における大きな特色のひとつとなりました。
実は、この美術展で一番心惹かれたのは画よりも画家4人のこの写真だった。
中心人物は左から3人目の島成園(しませいえん)。
女性の地位が低いこの時代に彼女らはどんな気概で生きてきたのか。
美人画にはあまり興味がそそられなかったが、山水画や四天王寺を描いた大作は素晴らしかった。
たとえば画壇の重鎮だった黒田清輝らの画と どこがどう違うの? と素人は思った。
局へ顔を出して、あすの打合せの確認などをそそくさと済ませて出る。
立ち吞みではなく、久々に冷えこむので、静かな店で坐って、熱燗とおでんでも、と目論むがどこも混んでいる。
あすは天皇誕生日でお休みだからかな。
天神橋商店街を北上して、結局「肴や」(空いていた!)で立つ。
ここはおでんはないので、豚肉と白菜の炊いたん、を注文する。
熱々で嬉しい。
瓶ビール中を分け、僕は樽酒、大関の熱燗を分ける。
焼きいわしのリスボン風、スペイン風いかやき、ささみ山葵、甘海老のピザ。
天満市場あたりを徘徊して、もう一軒だけハイボールを一杯飲む。
帰宅して韓国ホラーサスペンス「Happiness ハピネス」の2話、3話を観る。
風邪もボーマンも少しずつ抱えたスッキリしないままで眠る。
眠れるから大丈夫。