彼女の膝の具合がイマイチなので山登りはしばらく封印。
京都の街を少し歩くならば、と雨の予報だが阪急電車で上洛す。
行きも帰りも阪急夙川駅まで往復4キロを歩いたし、京都も四条烏丸から御池、四条烏丸から河原町まで歩いたのだから膝はそれほど心配することはないか、と思う。
室町の「前田珈琲 本店」でランチして御池まで歩く。
地下鉄で烏丸今出川で下車。
同志社構内はさながら赤煉瓦洋風建築のテーマパークみたいだ。
今までに何度も通ったことはあるが改めて、入場無料でいいの? と思うほど。
自分がかつて金沢城内にあるキャンパスに通っていたことなどすっかり忘れている。(笑)
相国寺にある美術館。ここには一度だけ来たことがある。
京都五山でもあるこの禅宗の名刹は雪舟ゆかりの寺、画を重んじてきたことを知る。
12年前にA部さんと見た展覧会も面白かった記憶あり。
shioshiohidaneko.hatenadiary.com
十八世紀の京では、多くの絵師が各々の画技をふるいました。なかでも、伊藤若冲と円山応挙は現在も愛好者の多い、人気の絵師です。本展覧会では、相国寺と伊藤若冲の関係を軸に、相国寺と相国寺塔頭所蔵の作品を公開いたします。
また、Ⅰ期は円山応挙の傑作、重要文化財《七難七福図巻》全三巻と画稿、下絵を、Ⅱ期は伊藤若冲の傑作、重要文化財の《鹿苑寺大書院障壁画》五十面を一挙公開いたします。若冲は若干四十四歳にして、鹿苑寺の大書院の障壁画全五十面の制作を一手に担いました。一の間から四の間、そして狭屋の間に至るまでの障壁画を若冲が制作しました。制作年は宝暦九年(一七五九)、若冲のもう一つの大作、動植綵絵の制作も行っていた時期です。寺院空間を彩る作品群を展示室でお楽しみください。
(ホームページより)
伊藤若冲の名前は知っていた。
鮮やかな色彩で動植物を描いた日本画家。
にわとりの画が印象的で僕の中では“ニワトリ絵師”として認識されたいた。
数年前(2016年あたり)、にわかにブームになってその名前を記憶したに過ぎないが。
円山応挙は有名な画家として歴史や美術の教科書にあったと思う。
たしか“かわいい”という感情を植え付けた小犬の絵を描いた人であると。
江戸時代の京都、二人は同じ時代、同じ町に生きた。
伊藤若冲が1716年から1800年、84歳で没、円山応挙が1733年から1795年、63歳にて没。
「どや!」若冲が迫る。
この展覧会、めちゃ良かった。
特に伊藤若冲に圧倒された。
展覧会へ行くこと、その意味を考えさせられた。
ポスターやテレビ画面やネットで見ていた画とは全く違う。
見る、向かい合う空間装置に意味がある。
1対1で対峙する。
伊藤若冲の描いた「動植彩絵(どうしょくさいえ)」
33幅の絵、画の数は幅(ふく)と数えるらしい。
実物は宮内庁の美術館に献上してしまっていて、今回の展示はコロタイプ複製だったがそれは関係ない。
むしろ実物よりも色が鮮やかで迫るものがある。
一幅一幅、じっくり鑑賞する。
迫ってくる。
絵が「どうですか!」と迫ってくる。
鶏が生きている。
魚も生きている。
植物もみずみずしい。
鶏や鳳凰の極彩色、超絶技巧を見てヒロが「これ “ どや画やね ” 」と言う。
「応挙!おまえの画はいまひとつパンチがないねん」
「うす気味悪い、弱い画ばっか書きやがって」
「見てみい! このニワトリ、どや!」
(嘘です)
ヒロのお目当ては《鹿苑寺大書院障壁画》全五十面一挙公開。
こちらは水墨画で本物。(褪せていた)
鹿苑寺(金閣)や慈照寺(銀閣)はこの相国寺の塔頭のひとつであるらしい。
想像で描いたであろう険しい岩山、雲海、滝、などの山水画がいい。
巨匠に失礼だが、宮崎アニメの背景監督として起用したい。(笑)
展覧会を見ることは、その人の伝記映画を見ることに近いと思った。
地下鉄で今出川から烏丸。
特急に座れるよう烏丸から河原町まで歩く。
コロナ禍に誰もいない夜の錦市場通りを歩いたとき、シャッターに若冲の画が延々と続いていたことを思い出す。
錦の「ぢんとら」で唐辛子を買う。
小袋5つ買おうとしたら店のおばちゃんが「自宅用?そんなら量り売りのが安いよ」とのこと。
40グラムを量り売りで買うと小袋より1000円近く安かった。
最初からそうすればよかった。
帰りに十三の駅で「喜八州」のみたらしを買う。
小雨だったが寒くなく、愉しい京都日帰り小旅行でした。
え? 下絵を描かずに?
え?それでどこまでも細密。
え?アメリカの収集家が発見した?
え?ドラマ化されていたのか。
眼鏡堂より推薦のあった「若冲」をメルカリで購入。
以下、追加で写真を数枚…!