昨夜はプチボーマンのまま、早めに寝入った。
起き抜けは大丈夫だったが、大事をとって昼はお粥にしてもらう。
臆病なのです。
5年ほど前から僕は “胃腸が弱い人” になってしまった。
そういう人のイメージはいつも悩んでいるようなしかめっ面をしていて、痩せている夏目漱石や芥川龍之介のイメージ。
僕はそうではない。
どちらかといえば肥っている。
なのに胃腸が弱い人になってしまった。
一番つらいのは旅の醍醐味であるおいしいものを食べる楽しみが削がれることだ。
いつボーマンになるのか脅えている。
午後から編集チェックに出る。
軽く手直しのやりとりを済ませ終了。
今日は吞まないと決めていた。
駅前ビルの地下を歩くと誘惑は多い。
今までなかった店がオープンしていてそそられるが、こんな状態で入るほど愚かではない。
お腹の調子がイマイチの時、少量で胃腸にやさしいものを外食で摂るのは難しい。
うどんや蕎麦の麺類かな、と駅前第2ビルの「四国屋」へ行く。
ここは昔よく ぶっかけうどん や カレーうどん をよく食べに来た店。
今はカウンターだけの小さな店になってしまった。
鶏きざみ揚げうどんを注文、熱々を食べて汗をかく。
一人前は多いくらいだった。
駅前ビル地下を歩きながらかつてこの地下にあった店を思い出す。
帰りにマサオらにラインしながら…。
第3ビルに「はがくれ」という讃岐うどんの有名店あったよなあ。
ここはしょうゆうどんがメインで、醤油をたらり、すだちを搾って食べた。
並びには「竹生庵」という老夫婦の蕎麦屋があった。
この店の日本酒は秋田の「太平山」一本、これが旨かった。
頼むと頑固そうなオヤジが奥さんに「本醸造」とポツリと言った。
第一ビルの地下には小鰯の天ぷら定食が旨い店があった。
おばあさんが二人でやっていた。
確か「富士屋」か「富士」という店だったかような記憶…。
昼の定食は鰯天、鯖味噌煮、卵焼きから選ぶのだ。
当時500円だったような。
同じ駅前第一ビルに本格的なサントリーバーがあった。
名前が思い出せなくてラインで問いかけたらセルジオが「キャシー?」と返してくれた。
そうそう「キャシー」だ。
今、鰯天ぷら定食の「富士屋」は立ち吞み「庶民」と「いしもん」になった。
「キャシー」は「徳田酒店」になった。
四半世紀前、そんな店が並んでいた地下街はすでに消えた街だ。
当時は日常使いのそんな店の写真なんかは撮らなかった。
今は脳内に記憶として刻まれているだけだ。
それでいいんだなと思う。
なーんて、こんな回想ゲームもトシヨリの慰みです。