ぷよねこ日々御留書 since2023

「にちにちおとどめがき」 毎日更新 日々の記録です。

2024年4月24日(水) 一山(ひとやま)越したか?

明け方、夢で目が覚めた。

5時台だった。

自分にしては珍しい。

作業が進んでない焦りなのだろう。

夢の内容は詳しく書かないが、自分がいつのまにか “タオル泥棒” にされていた。

ふたたび布団に入り、7時過ぎに起きる。

テロップ原稿作業にとりかかる。

 

けふの朝食、人参のポタージュ、青梗菜の炒め物。

 

今日はテロップ入れ、映像加工などのポスプロ作業。

テロップ原稿を送り、スタジオは入り、尺調整やタイトルのイメージなどを伝えるとやることはない。

編集の女性スタッフ二人にお任せして、グランフロントを散歩する。

気楽なものです。(笑)

 

プレゼンしたらあとはお任せです。

 

中身は12分、今回は選手タイトル、SNSコメントの処理などがあり、いつもより時間がかかる。

足もとがふらつくということではないのだが、この編集作業に入ってプチめまい、いや眩暈ではないが、

なんかふわふわした感覚があって不安になる。

脳血管で細くなってるせいで、プチ脳こうそくになのだろうかと。

かと言って、さほど無理をしてるわけではないし、対処のしようもないし、普通に食欲はあるし。

 

7時過ぎにポスプロ作業終わる。

一山越えた。

朝から食べてないので「得正」でカツカレーうどんと瓶ビール。

なんだか気持ちが落ち着く。

 

大阪駅への帰り、寄り道してホワイティへ。

串カツの「ヨネヤ」だけが空いていた。

こんな立ち吞みでスマホはなんだかな、です。

立ち飲みの串カツなのにスマホオーダーになっていた。

おいおい、と思ったがやってみた。

一杯しか飲むつもりはないし、カツも3本だけでいいから口頭でいいのにと思った。

カウンターにiPhoneを置いたのでスマホ持ってないので…とは言えない。

ご時世か…。

長く生きたなとため息一つ。

 

せめて手書きのメモでいいじゃん、と思う。

 

帰宅後、『舟を編む 〜私、辞書つくります』の最終話を観る。

あの柴田恭兵国語学者に見える。

風貌も、穏やかな話しぶりも、まさに国語辞書を編さんする人だった。 

役者って凄いなと思う。

 

あぶない刑事、癌に伏す。

 

続いて 映像の世紀 バタフライエフェクト史上最大の作戦 ノルマンジー上陸」を観る。

戦争がもたらすもの - 映像の世紀バタフライエフェクト - NHK

今から80年前の1944年6月6日。ノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)が行われました。アメリカから大勢の兵士たちが送りこまれ、その中には、戦場が初めてという新兵も多くいました。

ライ麦畑でつかまえて』の著者、J・D・サリンジャーもそのひとりでした。戦場に原稿を持ちこみ執筆を続けていたといいます。『ライ麦畑』の主人公の少年は「インチキ(phony)」ということばを度々使います。社会や大人たちを欺瞞的な「インチキ」だと嫌い、穢れなく無垢なものに心を寄せる姿には、過酷な戦争経験の影響があると指摘されています。

ノルマンディー上陸作戦の成功は、今もアメリカやイギリスにとって輝かしい勝利の記憶です。もちろん、祖国を取り戻したフランスにとってもそうであるに違いありません。 しかし、すべての戦争にいえることですが、その陰で、多くの将兵とフランスの民間人が命を落としました。

1944年にピューリッツァー賞を受賞したアメリカのジャーナリスト、アーニー・パイルは、ノルマンディー上陸作戦についてこう書いています。

「 “これだけのエネルギーを、何か良いことに向けられたらなあ…” 私は、この2年間、兵士たちがこう言うのを何度となく耳にした。しかし、人は破壊の時においてのみ、普段以上の力を奮うものらしい。」

(担当ディレクター)

 

後に大統領になる司令官アイゼンハワーの賭けだったノルマンジー上陸作戦。

グリーンランドにあった気象観測施設の話、従軍していたサリンジャーやキャパの話、

ヒトラーロンメルの不覚の話、

何よりも驚いたのはこの作戦の無差別爆撃でノルマンジー沿岸に住むフランス住民が3万以上も死んだということ。