一月も後半、まだ六甲山に冠雪も霧氷も確認出来てない。
Facebookが 〇年前のきょう の写真を見せてくれて、一月も後半になれば大抵の年は冠雪がある。
でも、明日から寒波襲来で、日本海側に大雪が予想される。
六甲あたりもそろそろかも。
大阪マラソンを走るランナーの取材で大阪最高峰の金剛山に登る。
あさって25日に同行取材を予定しているので金剛山のライブカメラも気になる。
金剛山は1125m、六甲山は931m。
金剛山の方が南だが、この200mの標高差が意外に大きい。
きのう宴会中にボーマンが霧散した。
油断せずに昼はおかゆにしてもらう。
今日は走らず、JR西ノ宮駅まで徒歩で往復する。
距離にして5キロはある。
速歩でも寒いので軽くジョグする。
トシヨリはなかなか身体があったまらない。
血管が細くなって、毛細血管も死滅して、血行が良くならないのだ。
血圧も上がるっちゅうねん。
あす、天気次第だが取材前の下見に金剛山へ行ってみようかと思っている。
出勤してカメラ機材をピックアップする。
山長梅田で独酌。
熱燗とおでん3種。
メルカリで買った文庫「若冲」を読み始める。
山長梅田のハウスワインならぬハウス日本酒は「久保田」の朝日酒造の「越州」
純米か、本醸造かは分からねど燗酒も冷やも旨い。
380円でたっぷり一合。
京橋の岡室でいう和歌山の「男波」(300円)に当たる。
山長ではこの「越州」とその日の気分で純吟や特別純米をハーフでが定番。
夜も冷えこむ。
チキンラーメンの小袋と菊正宗きもと純米の1.8リットル紙パック。
食事どきの日本酒は香り高くフルーティーでもなく、濃厚でもない癖の少ない酒が合うと思うようになった。
いい酒にもいつかは飽きてしまうのだ。
メインはハウス日本酒、ときどき純米吟醸がいい。
ストーブで燗をつけながらNHK+で「クローズアップ現代」を観る。
佐藤優のロングインタビューは面白かった。
彼は腎不全で人工透析を経て腎臓移植を受けたという。
街を歩くショットが異様、正体不明のオーラを放っていた。
インタビュアーの桑子アナが緊張しているのがわかる。
この「かりゆし」を着ているというのが、私のアイデンティティの中で沖縄の人間であるというのが半分、いや半分と言うか8割ぐらいあるんですね、実は。それは、母が沖縄の出身で、14歳の時に非常に例外的なケースなんですが、日本軍の軍属[32]として軍と行動を共にしているんですね。それで映画にもなったハクソー・リッジの戦い、前田高地の戦いで、あそこに地下ごうを作りながらね、ちょうどガザの地下みたいな地下ごうを日本軍が作って抵抗をしている時に、私の母はその中にいた。ガス弾を投げられて、マスクをつけ遅れた人はみんな横で窒息して死んじゃったんです。母はガスマスクをすぐつけたんだけれども、ちょっとガス吸っちゃって、親戚でぜんそくの人はいないんですけども、母は戦後ぜんそくで苦しんで、ステロイド剤が出来るまで、かなりぜんそくで苦しんでいました。
その経験をしてそこで九死に一生を得ると。そして首里の攻防戦に参加して、その時に手りゅう弾を2つ渡されるんですね。いざとなったら自決しろと。不発に備えてもう1つだと。
摩文仁 まで行って、ごうの中で潜んでいる。日本軍が組織的な抵抗をやめたあとの、17人でその穴の中に潜んでいたんですよ。ある時、米兵に見つかっちゃって。それで母親が手りゅう弾の安全ピンを抜いて叩きつけようとしたんですね、横のサンゴ礁の壁に。そうしたら、隣にいる「山部隊[34]」という所の髭ぼうぼうの伍長が「死ぬのは捕虜になってからも出来る、ここは捕虜になろう」と、両手を上げてなんとか生き残った。
でも母は死ぬ瞬間まで「自分が手りゅう弾をあそこで爆破させたら、自分だけじゃなくて16人を巻き添えにして殺していた」と、これを非常に言っていたんですよね。それで命は何よりも大切なんだということは、母に子どもの時から沖縄戦の体験を通じて言われた。
だから沖縄の新聞というのは、ウクライナ戦争に関するトーンが違うんですね。要するに「ロシアけしからん」ということなんだけれども、ウクライナのゼレンスキーさんが国民みんなに銃を持たせて、火炎瓶を持たせて抵抗しろと呼びかけていることに対しては、当時の日本軍の徹底抗戦を呼びかけていたあの時の姿と二重写しになる。だから沖縄の新聞は早くから即時停戦を訴えているというのは、そこと二重写しになっているからなんですね。その影響は私の中ではあると思う。それに、この問題は外交的に解決できると思うんです。
以前、池上彰との対談本「新・戦争論」で言ってたことと重なるが…
ロシアのウクライナ侵攻で台湾有事の気運がある。
「国民みんなが国防について考えなきゃいけないという世論は健全じゃないと思う。
国防に関しては専門家が冷静に分析すべき、みんなで考えるというのは情緒的になって危うい」
かつての諜報部員だけあって徹底的なリアリストであることがわかった。