元旦、真冬なのに寒くない。
ニューイヤー駅伝を観ながら珈琲を飲む。
恒例の新年ジョグに出るとき、ヒロにぽつりと言った。
「なんか気持ち悪い温かさだね。なんか阪神大震災のときみたい」
1995年の元旦がそうだったのか? 定かな記憶はないが、思わず口に出た。
実際に外へ出てみると風は冷たかった。
ネックウォーマーを取りに帰る。
駅伝中継(3区)を聴きながら走り始めるとすぐに暑くなってネックウォーマーは外す。
穏やかな元旦だった。
82歳、死因は老衰。
写真に映るベッドの上の坂田さんは幼児のようだった。
老衰死か…。
つい先日、大阪マラソンを走る予定の高齢者に電話取材していた。
神戸の87歳、大阪の84歳、熊本の79歳の3人のランナー。
82歳で筋肉、内臓、循環器が衰え歩けなくなる人もいれば、87歳で42.195キロどころか100キロを完走する人もいる。
いい悪いではなく、生物としての個体差を考えてしまった。
去年、こんな記事を読んだ。
平均健康寿命73.1歳…70代になるとなぜ急に老衰するのか : hankyoreh japan
昔は栄養状態も今とは違うので六十は見るからに老人だった。
生物としての人間の活動寿命は確実に伸びたのが、70代からは個人差が広がる。
周りを見渡せば…六十代でいかにも老人という人もいるし、ホントに七十代?と思えるほどシャキッとした人もいる。
自分もいま、分かれ道に差し掛かっている。
きょう6キロほどジョギング(半分近くはウォーキング)しながら思った。
もちろん以前に比べて、疲れやすいし、身体は重い。
それでも無理な運動量、無理な強度ではない。
七十代まで3年ちょっと、いま、ここが分かれ道なのだ と思った。
何度も日記に引用した村上春樹「走ることについて語るときに…」から。
「もし忙しいからというだけで走るのをやめたら、間違いなく一生走れなくなってしまう。走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。僕らにできるのは、そのほんの少しの理由をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。」
…「体力が落ちてくれば(これもあくまで一般的に言えば、ということですが)それに従って、思考する能力も微妙に衰えを見せていきます。思考の敏捷性、精神の柔軟性も失われてきます。」
2024年、年頭に思う。
走ることの優先順位をもっと上位にしよう。
疲れが残って身体が重い。
胃腸の調子がイマイチ。
仕事がある。
気が乗らない。
疲れたくない。
取るに足らないことを含めると走らない理由は大型トラック一杯分ある。
それでも、走る理由がある、と 走り続ける意味がある、と思う。
(この意味については別に日に書こう)
プライオリティを一段階上げよう。
それともうひとつ。
酒のことを考えた。
いま、それほど吞みたくないときも少しだけ吞んでしまう。
日本酒一合程度(缶ビール一本程度)。
酔うことはない。
アル中ではないが、これもアル中かな。
吞みたくないと思ったらスパッと吞まない。
そうしよう。
ジョグ後、シャワーを浴び、いつものように変わらぬ年賀のお屠蘇。
少し吞んで、昨日の日録を書く。
そろそろ初詣にでも行こうかなと思っていたとき、聴いていたラジオで緊急地震速報が鳴った。
石川県だ。
テレビをつけた。
また警報。
ヒロが「揺れてる!」とつり下がった電灯を指さす。
ゆっさゆっさと大きな横揺れが数秒続く。
しばらくして女性アナウンサーの声が大きくなる。
日本の元旦が揺れた。
しばらく落ち着かず。
何かに集中しないといけないわけではないが…気もそぞろ
1時間ほど経って落ち着く。
きょうは初詣どころの気分じゃないねと近所を少しだけ歩く。
能登は、金沢は大丈夫か。
2124年元旦、早めに寝る。