今日は終日編集。
…とは言っても集中したのはアームレスリング対決の1時間くらい。
あとはYou-Tube用の対談のほぼノーカット版をつなぐべく編集マンのAZさんにお任せでした。
その間に明日の取材準備(インタビュー項目の書き出し)、番組ホームページの更新(予告動画のアップ)など…。
5時くらいに終える。
他のスタッフはあすのプロ野球イベントの準備に忙しい。
思えば…
いまのゆるいペースで仕事をするようになって何年が経つだろう。
月に20日ほど出勤はするもフルタイムではない。
番組の監修がおもな仕事で週3日がベース、たまに自分で取材、編集、仕上げもあるが、
スケジュールは詰めこまず、間隔を空けて自分のペースでやらせてもらっている。
それでも組織全体の中では脇役(サブキャスト)、穴埋め(ロングリリーフ)的な役目は果たしていると自負する。
いなかったら…いなくても何とかなる、とは思う
いたら便利かも、程度だろう。
何か大きな変革があれば契約は切られるだろうが、こちらの側も体力減衰途上にあり、
どちらにしても時間の問題だと思う。
でも…
いつから意欲的に仕事をすることを諦めてしまったのだろう。
こんなペースで仕事をして何年が経つのだろう。
甘んじて糊口を凌いでいる。
怠け者にとってこの上ない幸運だと思う。
それ以上はもう望まない。
いつかは激流は来るのは必至だが、今はこの低速の流れに身を任せている。
今日もそれなりの仕事を済ませた。
帰りがけに、吞みたい!と強烈には思わないが、少しだけ吞みたいと思った。
たいていはその程度の欲求だ。
朝はごく少なめの白飯と味噌汁、生卵半分の卵かけご飯。
昼は近くのヴェローチェでナポリタンスパ。
夜は少し吞むだけで糖質はやめようと思った。
「山長梅田」へ行くがスペースがなく満員、「ウエダ商店」で立つ。
焼酎水割りのミニ缶、春鹿コップ酒、ホテイの焼き鳥缶、おでんの竹輪と卵。
少し飲むと胃が活動的になる。
炭水化物はとらないと決めていたのに堂チカのインディアンカレーへ。
インディアンカレーの軽い中毒なので欲望に従い食べた。
ライスは少なめに、と注文するがあまり少なくなっていなかった。
次は半分くらいで、と言おう。
飲む、飲まないにかかわらず帰りの電車は睡魔に襲われる。
帰宅しても収まらない。
9時過ぎ、観念してデスク下で仮眠する。
9時過ぎは仮眠とは言わないか。
0時頃に起きて風呂に入る。
ヒロはもう寝ていた。
眠れないので(当然だ)、オンデマンドで「吞み鉄本線 日本旅」の久大本線編を観る。
秋・久大本線を呑む! - 六角精児の呑み鉄本線・日本旅 - NHK
少し飲みたくなって「盛典」をグラス半分ほど飲む。
あとはメモ代わりに…。
購読中のブログ「インタプリタかなくぎ流」に「あとどれくらい生きられるか」と題された投稿がアップされていた。このブログ主は通訳を仕事する人でおそらく五十代半ばから後半かと思う。僕も来た道、そして、いまも途上にある実感を的確に(的を射て)記してくれている。メモ代わりに抜粋して貼りつけさせてもらう。
昨年あたりから以前とは違う「しんどさ」に見舞われるようになりました。ジム通いも数年前までは週に4〜5回だったのに、3回でもしんどくなり、いまや2回行くのが精一杯です。
トレーナーさんからは「トレーニングには休養も不可欠なんですから」と慰められます。それはその通りなのですが、あきらかに体力が落ちているのです。それでも健康診断などの結果はまずまず良好で、特に何かの疾患を抱えているわけでもなければ、薬を服用しているわけでもありません。なのにこの「しんどさ」、この「ぐだぐだ感」ときたら。
自己暗示になりそうですからあまり悲観的なことは考えたくありませんが、これがまさに「老いていく」ということなのかなと思います。以前は当たり前のようにできていたことが、一つ一つやりにくくなり、ついにはできなくなっていく。トレーニングだけじゃありません。暮らしのさまざまな場面で、以前のようにできなくなったことが他にもたくさんあります。
厚生労働省が発表している最新の平均寿命にあたってみるに、私はそこまであと20年ちょっとあります。でもこの「老いっぷり」や「弱りっぷり」をみるに、とてもそこまでは到達できないんじゃないかと思います。少なくとも、現在のように一応行こうと思えばどこにでも行けて、何でも食べられて、学びたいものを学べて……という状態でその歳まで行くのは難しいんじゃないかと。
だから最近は、自分はあともう十数年しかこの世にいられないのだと仮定して、いろいろな物事を考えるようにしています。うっかりそれ以上生きることができれば、それはそれで「めっけもの」ということで、もうそんなに先の未来まで人生を見通すことはできないのだと諦めました。何もかも、というような欲張りな考え方はやめて、続けられるもの・続けたいものを絞り、それ以外からは降りることにしたのです。
不思議なもので、そうやっていったん諦めてしまうと、少しだけ心と身体が楽になったような気がします。あと十数年しか生きられないのですから、“bucket list”に従って、やりたいことをやり、やりたくないことはやらないのです。私と同じ年代で、もっと身体が弱っている方、あるいは闘病している方から言わせれば、あんたは呑気でいいねとお叱りを受けるかもしれませんけど。
先日そんなことをーー「僕はもうあと十数年しかこの世にいないと思ってます」みたいなーージムのトレーナーさんに言ったら、「ええ〜、いなくなるの、寂しいです」と言われました。社交辞令だとは分かっていますけど、彼の言い方があまりに率直だったので、ちょっと込み上げてくるものがありました。