差し迫ってやるべき仕事は…
1件だけ、いや明日の女子駅伝の現場取材へ行くべきかどうかも夕方までには決めておかないといけない。
他人が書いた台本を僕が改訂するというミッションがひとつ。
元の台本はMicrosoftのWordのファイルで送られてきたもので、僕のiMacにWordはない。
Wordを開くと自動的にPagesというMac仕様の形式に変換してくれるのだ不自由はなかった。
しかし、今回のWordファイルには色々と貼りつけてある表や画像があって変換できず困ったことになった。
会社のWindowsノートパソコンでやるしかない。
慣れないパソコンと慣れないアプリ。
いまどきWordやExcelが扱いにくいというのは致命的なのだが、今までは変換してPages(Word)とNumbers(Excel)とKeynote(PowerPoint)で済ませてきた。
Word原稿の改訂作業。
いつもより倍くらいの時間をかけて済ませる。
疲れた…。
疲れたが、いろいろ先のことを考えて明日の大学女子駅伝の現場取材は決行。
その準備をして作業終了。
ニュースデスクのプロデューサーに、来月の26日(木)は空いているか? と問われる。
ざっくりとだが、その頃は山ハイクを予定しているのだが…
ことしドラフト会議の取材スタッフが足りなくて…とのこと。
ドラフト指名選手の取材なんて20年近く行ってない。
それ以前は毎年のようにその年の目玉選手のその瞬間にその現場にいた。
彼らもとっくの昔に現役を引退している。
ドラフト取材か…。
こういうオファーは出す方にとって何でもないもので「空いてたら助かります」なのだが、
受ける66歳の感情は自分で言うのも何だが…めんどくさい。
テレビ取材で記事を書くわけでもなく、まったくの段取りだけの仕事なのだが。
「こんなトシヨリでもお役に立てば…」というのが6割、「ええー!めんどくせえなあ」が4割。
結論、つべこべ言わずにやれ! だ。
問題は木曜日という絶好の行楽日(空いている)だが、なんとか捻出できるだろう。
つべこべ言うな。
7時前に退社、外は雨が降っていた。
蒸し暑くない。
少しだけ秋の気配が…。
最近の独酌処の条件は立ち、座りに関わらず本が読めること。
混んだ立ち吞みでも読みやすい場所はあるし、空いていても読みづらい場所がある。
店の人も、隣の客も、いい意味で無関心で、“ 放っておいてくれる ” のが読書にはいい酒場だと思う。
静かすぎてもダメだし、隣りのグループが大盛り上がりしてるのもダメ。
そういう条件だと画一的なファミレス系がいいのだろうけど、ちょっと味気ない。
そんなこんなで天満「肴や」のカウンターに立つ。
空いていた。
思えば、この店はいろんな人と来たなあ。
年齢層、男女、業種となぜかバラエティに富む。
いい店、紹介したかった店の証拠かな。
一人でくるとき、意外に読書に向いていることを今日発見。
久々のギネス小と小鉢の煮物で和む。
追加で秋鹿とリスボン風焼きいわし。
〆は同じ天満の「つくもうどん」でいりこだしのかけうどんと揚げ餃子とジョッキ小。
「つくもうどん」は緊急事態宣言で酒類の提供自粛があった頃に週2くらいで来てたことを思い出す。
今月行った青春18きっぷ旅で一番旨かったのは、松山-呉のフェリーで食べた かけうどん だった。
冷凍うどんだったけど、空腹時に、いいロケーションで食べる 熱い汁物 は旨いのだ。
秋のフリーきっぷ(青春18きっぷみたいなもの)で飯田線に乗りたいと、乗っておきたいと思った。
過去に全線踏破(乗波?)したかどうかはの記憶は定かでない。
意識して乗ったかどうかも不明なので、乗ってないという判断。
調べたら豊橋ー岡谷の直通がある。
なんと91駅、205.2㎞を6時間38分。
詳しく見ると上下行き違いの待ち時間は最長でも8分ほど。
これは耐久レースだ。
でも、おそらく若い頃に乗っている。
岡谷から豊橋まで。
車窓を眺めつつ退屈だったという記憶だけを残している。
Netflix「ナビレラ」も今日で8話目を見終わる。
主人公のドクチュルがある感慨をもって走馬灯のように自分の人生を回想するシーンが冒頭にあった。
韓国ドラマ特有のケレン味たっぷりのドラマチックな回想シーンが続き、そこにピアノ伴奏の哀しい歌が流れる。
日本で言えば…さだまさし、小椋佳か、菅原洋一か、はたまた美輪明宏か? 声は田畑義夫っぽいが。
見上げれば青空に白い雲が流れてゆく。
とめどもなく流れ出るドクチュル(七十代)の涙。
「どうしてわたしがこんな…お父さん、お母さん、どうすればいいのですか」
「ナビレラ」は12話完結、まだ4話ある。
このシーンを見て韓国のある歌を思い出した。
菅原洋一もカバーした韓国の音楽家 吉屋潤(キル・オギュン)の「1990年」という歌。
「ナビレラ」で使われた曲と曲調はまったく違うけど。
🎵 1990年 娘は21 女の季節を迎えているだろう
この歌が発表されたのは1977年、幼い娘の13年後を想像して父親が歌った。
2023年、その娘は54歳になる。
そういう時の流れを思うと、「ナビレラ」の回想シーンがより深くしみる。
これも吉屋潤の作品。
キーボードを打ったりするときにミスタッチが多くなった。
指先がおぼつかない感覚が少しずつ度合いを増していくような気もする。
風呂場でにぎにぎ運動はしているが、ギターも再開して時の流れをゆるやかにしたい。