行くのがためらわれ、先延ばしにしていたマサオの見舞いに篠山へ行く。
ハードルはいくつもあった。
コロナ禍で面会にさまざまな規制がある。
面会出来るのは親族に限られ、面会時間も15分以内であるとか…。
加えて篠山に住むマサオの家族に対しての違和感、不信感と言ってもいい、が頭のどこかにこびりついていて、正直関わりたくなかった。
それでも顔を見ておこう、と思ったのは、生きているうちに、という感情と、
元気な頃に旅をしたり山に登ったり、数知れず吞んだ日々の思い出が背中を押したからだ。
セルジオの力を借りて家族に連絡してもらい、8月の最終日に予約をとり、篠山へ向かった。
往復に青春18きっぷを使った。
普通に買っても同額くらいだが、まだ4回分残っている。
余らせてももったいないので使うことにした。
車内で図書館で借りた南木佳士のエッセイ集を読む。
自分より少し先輩のこの作家の書くものに最近もっとも感応する。
信州の浅間山麓に住み、医師として働き、山に登る。
自然描写がそのまま心に響く。
心情表現は、文章で表現するとそういうことですよね、といちいち腑に落ちる。
他者の病いや死に深く関わる医者という職業はなんとも剣呑で、滅んでゆく人間に寄り添っていると、こちらのものの考え方まで滅びの方向に傾斜してしまい、明日を楽観して生きる健全な鈍感さを備えた生活者たちの世界からはみ出してしまいそうだった。
ただ、悲観に彩られた世界のほうは妙に静かで、どこか存在にとって本質的だと感知される雰囲気があり、おまえはどちらに重心を置いて生きるのだ、と問われたら、やはり寂滅の気配の漂う世界をとるのだろうな、との確信はあった。
(南木佳士エッセイ集「生きてるかい?」)
関わっている世界の構成、年齢構成が自分の生き方、考え方に大きく作用する。
自分はどうだろうと周りを見回す。
仕事環境ではどこへ行ってもほぼ最年長、現場は二十代三十代が過半数だ。
同世代でそんな環境で現役で仕事をしている知り合いはいない。
取材対象も身体から生命のオーラを発しているような大学生のアスリートたち。
知らず知らずに影響があるのだろう。
振り落とされないように生きているような感覚がある。
悪くない。
でも、どこか僕も南木さんと同じく、寂滅の世界に確固たる重心があるのを自覚する。
それだけ長く生きてきたのだ。
仕方ない。
そんなことを思いながら電車は新三田を通過する。
そこから稲が実り秋の気配がする田園、緑濃い谷間を30分ほどゆく。
篠山口は遠い。
マサオはかつてこの距離を毎日片道2時間かけて通勤していたのだ。
キオスクでワンカップ大関を2本買って乗りこんでいたのを思い出す。
その前は加古川のマンションから通っていた。
そこも大阪からは遠隔地で通勤にたっぷり2時間はかかった。
本人が田舎暮らしを望んだわけではなく、いつも言うことは同じだった。
「めちゃ遠いよ。しゃーないやん。」
他人事みたいに言うマサオだった。
JR篠山口駅と市の中心部は5キロ以上離れている。
マサオが療養している老人施設は城下町の北側にある。
セルジオと駅で合流してバスで向かう。
時間調整で篠山城跡まで歩いて往復する。
何度か来たことがあり、景色に見覚えはあるが、その頃はGoogleマップなどなかったので町と城の位置関係を初めて知る。
内堀の縁にアオサギがいた。
「マサオに会いにきたのかい?」
宮崎駿のアニメ映画で馴染みのアオサギ、どこにでもいるアオサギ。
15時少し前に施設に着く。
マスクをする。
受付で健康チェックシートに体温と健康状態を書く。
通り一遍の意味のない形式上の手続き。
セルジオは義兄、僕は従兄と書く。
面会は15分限定、今回はその15分を二人で分けるのだという。
なんだか超VIPスターの取材みたいだ。
「報道各社5分ずつでお願いします」みたいな。
僕が先、セルジオが後。
たまごっちのようなタイマーを手に持たされる。
9分のカウントダウンが始まる。
(本来は7分半ずつなのだが4階まではエレベーターでアプローチが長いので特例?)
4階へ上がる。
介護スタッフの人が「ヨシダさん、部屋に戻られたのでお部屋へどうぞ」
個室だった。
マサオはベッドサイドで車いすに坐っていた。
「おお、ありがとう!」と笑顔で迎えてくれた。
元気そうだった。
呂律が少しあやしいくらいで会話は普通に出来る。
会話は成立する。
左半身が麻痺している。
車いすは手で動かさず動く右足で歩くように進める。
クラッチを使って自力歩行のリハビリは毎日しているらしい。
話しぶりからはそれほど積極的に頑張ってます、という感じはなし。
マサオらしい。
時間はどれくらいかかるのか僕にはわからないが、入院した頃と運動機能的には変わってないとのこと。
2日前のLINEで「本を差し入れて下さい。家にある読み古しで良いです。」とあったので、文庫本8冊と小林信彦の「生還」(脳こうそく闘病記)を渡す。
いまマサオは施設に置いてある本を繰り返し読んでいるという。
「もう4回目や(笑)」
いま読んでいるのは堂場舜一の小説で「これも2回目や」と言う。
嫁に本の差し入れを頼むことはないのだろうか。
本が読めるというのはいいことだ。
少なくともアホにはなっていない。(笑)
この1年間、外へは一歩も出ていないという。
出たいやろ、と言うと、うーん…いま特にやりたいことないねん、と言う。
タイマーが鳴る。
「元気で!また秋に来るわ」と言って部屋を出る。
セルジオの面会も終わり施設を出ると嫁さんの知り合いの女性(四十代?)が待っていた。
車で嫁さんがやっている店に連れて行ってくれるという。
何の連絡も受けてなかったのでちょっと面食らう。
マサオの自宅は田舎の自然食レストランのようなものをやっている。
そこへ行く。
4時前だがまだ一組客がいた。
正直、ここへは来たくはなかったが、家族(嫁さん)に挨拶くらいはせねばと思った。
珈琲と手作りのいちぢくケーキ。
「まだ若いのに、あの人は元の生活に復帰する気がない」と無気力を嘆く。
話で知り得たことを記す。
・倒れたのは去年の7月、芦屋浜の花火大会の警備の仕事中だった。
・最初は大阪市内の病院にいて、自宅のある篠山の病院に移った。
・脳こうそくではなく、脳幹出血だった。
話を聞きながら “怒りのようなもの” が沸く。
理屈ではなく…感情。
自分を主張しない、あるいは出来ない夫、彼を追いこんだのは何か?
夫婦は同じ方向を見ていなかった。
理想の田舎暮らし、自然食レストラン 息子のピアノレッスン と 警備員の低賃金で過酷な労働、そのバランスの悪さ。
加えて一人で実母の介護をしていた夫。
ここに至るまでに僕が知り得た(マサオから聞いた)アンバランスな家庭事情。
マサオは消費者金融どころかもっと危ないところから借りていた。
有り体に言えば「マサオの収入でその暮らしぶりは何なんだ?!」
結局、こうなった。
入院前と変わらずもの言わぬ自暴自棄の夫と、無気力を嘆く妻。
マサオの負けだ。
「まだ若いのに…あの人はがんばって復帰する気がない」
元気で生き残ったもん勝ちやな と。
つまり、歴史と同じだな。
生き残った者にが正当性を主張し、事実は都合よく書き換えられる。
書けば書くほどうまく表現出来ない。
校正さえ不可能な文章ばかりになりそうだ。
とりあえず “怒りに似た” ものが残った、と書き残しておく。
17時07分 篠山始発に乗る。
腹が減ったので三田駅で下りて駅前の居酒屋でも行こうと思ったがセルジオが寝ている。
伊丹で下車。
目当ての立ち吞み食堂にシャッターが下りていた。
木曜休みだったか。
阪急伊丹駅近くはどこにでもあるチェーン居酒屋くらいしかない。
その中に一軒だけ赤提灯の焼鳥屋を見つけた。
「老松道場 とり新」とある。とり新
さあ、どうする?
勝負だ。
入ると昭和の気配濃厚な内装、焼き鳥の他にも猪やうずら、山鳩などのジビエもある。
女将の声に驚く。
浪曲師か、はたまた市場の競り人か、かつてのパリーグの応援団長か、と思わせる迫力あるダミ声。
伊丹の銘酒「老松」の人肌燗を味わいながら、ダミ声の話を聞く。
聞けばこの店は作家の田辺聖子さんも常連だったという。
伊丹も企業城下町、空港城下町で、この店は住友電工の常連客が多かったという。
篠山へ : 風屋敷日録(セルジオの日録)
酒友も数人いるが、その友によって選ぶ店は微妙に違う。
A部氏、眼鏡堂氏、編成M氏、セルジオ氏、それぞれ微妙に嗜好が違う。
立ち吞みNGの人もいれば、安直なチェーンを敬遠する人も…いる。
思えば…若い頃失敗した思い出の中にいつもマサオがいる。(笑)
なぜだろう?
歳を重ね失敗は少なくなった。
単に用心深くなって冒険をしなくなっただけかな。
残り時間と自らの許容範囲が狭くなったのが原因。
なぜか伊丹、ちょっとした日帰り旅行気分でマサオの見舞い行の〆とする。
最後にサービスの鶏スープをもらい、店を辞す。
夕方は少し涼しくなったなと思ったが、また夜になって暑くなる。
以下はちょっと多めのフォト日記で。