ぷよねこ日々御留書 since2023

「にちにちおとどめがき」 毎日更新 日々の記録です。

2024年2月28日(水) マサオに面会する。 〈 『会う』こと の意味 〉

 

マサオに面会してきた。

場所は大阪府柏原市の介護付有料老人ホーム。

JR環状線、鶴橋で乗り換えて近鉄大阪線河内国分駅、普通に乗り換えて大阪教育大学前駅。

 

文庫と新書と差し入れのチョコレートと鶴橋駅で買った草餅が10キロ近くあって重い。

何度か休憩を入れる。

河内ワインの産地、まだ新葉の出ていない葡萄畑の広がる坂を登る。

脳内に元ちとせが歌う「冬のサナトリウム」が聞こえてきた。

オリジナルはあがた森魚、こんな歌詞だ。

 

ほんの少しだけど 

陽が射し始めた 

雪明り 誘蛾灯(ゆうがとう)

誰が来るもんか 独人(ひとり)

 

荒野(あれの)から山径(やまみち)へ 

邂逅(であい)はまぼろし

弄(もてあそ)びし 夏もや 

何が視えたんだろか 抱擁て(いだいて)

 

十九歳十月 

窓からたびだち

壁でザビエルも 

ベッドで千代紙も 涕いた(ないた)

 

iPhoneApple Musicで検索して、実際に聞きながら老人ホームへの坂道を歩いた。

 

『冬のサナトリウム』をiPhoneで聞きながら歩く。

 

駅から徒歩10分ほどの丘陵地にその施設 ハイビス柏原アネックスはあった。

一見すると大きめの単身者向け社員寮かワンルームマンションのよう。

受付もゆるゆる、予約しておいたので名前を書く必要もなかった。

いいのか?

老人施設なので入る時にマスクをした。

事務所に詰めるスタッフの中にはマスクをしていない人もいた。

万事ゆるい。

それも悪くないか。

どうぞ、お部屋までご自由に、寮へ遊びに来た友人のような感じで言われたが、

マサオの部屋が何階の何号室かも分からないんですけど…。(笑)

 

2階の端の部屋だった。

ノックをして入る。

マサオは車いすに乗って正面を向いていた。

ドアの前まで車いすで移動して方向を変え僕をベッドに座らせる。

文庫本と新書 40冊ほどを床に置く。

草餅とチョコレート。

1時間ほど歓談。

 

繰り返し同じ本を何冊も読んでいるというが…

「これ、面白かった」とか、「これの主人公はアカンかったわ」とかのコメントは一切無い。

本当に読んでいるのかも…あやしいなと思えてくる。

マサオは持っていった本にも何の興味を示さなかった。

まるで資源ゴミのように本の山を見る。

唯一、持っていった洋酒入りのチョコを食べさせたら「美味いなあ」と笑顔になった。

部屋から天理の玉戸さんに電話した。

マサオに替わると驚くほど大きな声で玉戸さんと話をした。

玉戸さんの声も大きくて受話器から漏れ聞こえてくる。

老人同士の大声会話。

マサオに生気を感じた。

こいつ生きてるな、と。

これだけで来た甲斐はあったと思った。

「玉戸さんがガンになったと聞いて心配しとったんですわ」

心で突っこむ。

おまえの方が心配じゃ!(笑)

 

「玉戸さん、心配しとったんですよ」 心配なら自分で電話せんかい!💢

 

部屋には大人用の紙おむつが積まれていた。

少しはリハビリは進んでいるのだろうか。

歩けるようになった?

これで(杖のような器具)少しは歩ける。

去年の夏にも同じことを言ってた。

歩けるなら僕が来た時、身体の向きを変えるのも歩いて出来たはず。

マサオは車いすに乗ったままだった。

この施設では誰もリハビリを促したり支援したりする人はいないのだろう。

自ら進んでやるような男ではない。

そこんとこだよ、マサオさん。

もちろんリハビリは楽ではないのだろうけど…。

 

居室には父と父方の祖母の位牌があった。

「そろそろ終活いうのをしようと思うんや」(遅いわ)

同じ市内の老人ホームに母親(九十代)がいる。

「母親が死んだら、遺骨とこの位牌をまとめて海に散骨しようと思うんや」

母親の故郷は串本で、串本沖で海洋散骨が出来るらしい。

部屋の中は暑いくらいなので、窓を開けて空気を入れる。

冷気が気持ちいい。

「窓なんか開けたことないわ」 とマサオ。

 

 

読んでいる本にレイチェル・カーソンのこんな言葉が引用してあったのを思い出す。

『知る』ことは『感じる』ことの半分も重要ではない。(「センス・オブ・ワンダー」)

実際に『会う』のと、LINEで『交信する』のとは『感じる』ものが大きく違った。

勝手に期待したことは裏切られ、会話のズレも実感し、もどかしくもあり、怒りさえ感じた。

いま、彼の無気力さを断罪して マサオは終わったわ と決めつけることはしたくない。

いま『会って感じる』ことは、それでも無意味ではないと思った。

彼が倒れてから離婚する3年をどう過ごしてきたのかは僕には計れないのだ。

自由に動ける僕に断じる権利もない。

「感じる」しかない。

 

また来るわ、と僕が言う。

最近、脳のMRIを撮ったけど血管は細くなってるんで何が起こるかわからんから、もう来れんかも、とも。

するとマサオが、

突然来るで、オレもそうだった、と先輩面。

おまえは違う。

僕はずっと見ていた。

突然の前に引き返すチャンスは何度もあった。

こうなるのは必然だった。

 

 

荷物が軽くなったので急行の停まる河内国分駅まで歩く。

このあたりはいつか再訪したい。

奇岩の屯鶴峯(どんづるぼう)や二上山信貴山ケーブル、信貴山城跡にも大阪の陣の古戦場へもある。

マサオ面会とは別に来月にも来てもいいなと思う。

『知る』ことと『感じる』(実際に見こと)は違うのだ。

河内国分駅は以前に大阪マラソンの市民ランナーの取材で来たことがある。

町工場の撮影だったことを思い出す。

 

去年の夏以来、二度目の「文目堂(あやめどう)」でした。

 

夕方は蕎麦吞み。

谷町六丁目の「文目堂」でA部さんと酒豪Nさんと合流する。

蕎麦吞みで地酒を一合ずつ3種類。

それでは飲み足りず、立ち吞み「めがね堂」へ行くも量にも値段にも不満が残り〆られず。

結局『スタンドソノダ』に落ち着く。

最初からここに来ればよかった。(笑)

白と赤のグラスワインとラム串、空心菜炒め、エビパン。

3軒目でやっと〆られた。(笑)

A部氏に朝に蔵元で買った「灘一 上撰原酒」を一本渡す。

 

最近はかけそばがマイブームです。


以下、フォト&キャプションで振りかえるマサオ面会の一日です。

自転車で5分の「松竹梅酒造」へ初めて行く。
玄関にはさだまさしの「酒の渚」が置いてあった。

もうここでは酒造りはしていないのだろう。
瓶詰め加工のみのようだ。

会社の独身寮のような…。

障がい者ですが何か?」と言いたげなマサオ

酒豪Nさんのおろし蕎麦が美しい。