アーリーバード(早起き鳥)大作戦は苦戦している。
自分の意志だけで長年続いた習慣は簡単に変えられない。
今日は早起き出来ず8時過ぎまで寝ていた。
京橋の「にしの」で5時台にひとり晩酌(瓶ビールと冷酒一合)して帰宅。
当然のように眠くなる。
デスク下で仮眠態勢、あっという間に寝入ってしまい2時間も…!
夜ふけに起き出して何やかんや済ませて配信ドラマを観てたら就寝時間が2時過ぎ。
アーリーバードが怠惰なナイトオウル(夜のフクロウ)になる。
元の黙阿弥。
推しのシンガーのナイトアウル、この曲いいです。
通勤時、奥田英朗氏のぼやきエッセイを読んでてふと思った。
氏は自身を出不精で怠惰であると書いている。
自分のことを思う。
人生のたいていは怠惰で、高い志も抱かず、トシをとってしまった。
忍耐もさほどではなかった。
66歳、いまホームレスだったとしても不思議じゃない。
すいません。
ホームレスの人が怠惰ということではありません。
いや、怠惰な僕にちょっとした不運が重なれば…そうなっていたかもしれない。
今、僕が甘受している幸福は、いまだ自分が支払ってきた代償としてイーブンなのだろうか、
もしかしたら…分不相応なのではないか。
望むもの、望んだもの、払った代償(努力や辛苦)とのバランスは妥当なのか。
とにかくホームレスにならず無事に67歳になれたら御の字だと思って生きている。
先月、帰省して90歳の母と話をした。
僕が高校時代に国鉄で電車通学していて、毎日乗ったのが刈谷駅8時8分発の下諏訪行きだった
という些細なことをなぜか今も憶えているという話。
その流れで母が意外なことを言い出して少し驚いた。
高校受験のこと。
僕はその地域で一番の進学校(刈谷高校)へは行かず、次点の高校(安城高校)を受験した。
その経緯はあまり覚えていない。
母が言った。
「あのとき、あんたより成績の悪かった〇〇くんが刈谷高校へ行ったのは、あの子の家が〇〇だったからだったね」と。
つまり町の有力者の息子だったから合格した ということを言っているのだ。
当時(今もそうかも)受験先は中学の担任か進学主任の先生が振り分け決めていた。
県立高校には地元の中学からは暗黙に一定の枠があったのだと思う。
僕は受けさせてもらえなかったのか?
あるいは、自ら次点の高校を選択したのか?
記憶にない。
刈谷高校へ行かねばならない、行きたい、という気持ちは無かったように思う。
受験当時、母からそういう愚痴めいた話も聞いたことがなかった。
今さらながら、あのときはそう思っていたのか、とちょっと驚いた。
成績でいえば合格してもなんら不思議のない順位だったが、クラスで1番とか2番とかではなかっので、
文句なしに堂々と…という感じでもなかったと思う。
刈谷高校には体操部がなかった、というのはおそらく後付けの理由。
怠惰で、志や上昇志向の低い人間だったのかも?
という話と結びつくのかな、と思った次第。
66歳、僕はまだ本気だしてない。
つらい労働の日々を送る3人。
ファミレスでシフトを入れまくって働くヤングケアラー、元ヤンキーで実家から縁を切られたタクシードライバー、放蕩な母に翻弄され祖母と二人で食品工場で働くパートタイマー…。
決して怠惰ではない彼女ら3人の物語。