ぷよねこ日々御留書 since2023

「にちにちおとどめがき」 毎日更新 日々の記録です。

2024年12月19日(木) 1971年の12月31日を神の視点で見る。

六甲冠雪、長峰山から摩耶山にかけて稜線近くが白くなっていた。

この冬イチの冷えこみで大阪市内でも初雪が舞ったらしい。

ラジオでそのニュースを聞いて玄関ドアを開けたら…六甲最高峰あたりに雲がかかっている。

昨日はA部氏と飲んで、一昨日は六甲を歩いた。

ウイークポイントの胃腸を労ろうとお粥にしてもらう。

 

最高峰は雲隠れ、その手前の西お多福山あたりだろうか。

 

きょうはオフ。

元々は温泉を所望するセルジオ(68)と能勢温泉へ行く予定だった。

ところが本人がブログに書いている。

風邪を引いたようで、喉と鼻が大変だ。
この手の風邪は20世紀からこっちなかった、
のではないかと思う。
今週は予定がたくさんある。
今日は休めるのでじっくり治そう。

このあと、嫁さんがインフルエンザで、自分も微熱があるとのことでキャンセルしたいとの連絡あり。

 

ならば、マサオの老人ホームへ顔を出すか、ときのう本人にLINEした。

さくっとDVDや本をやお菓子を差し入れようと。

ところが、朝起きるとこんなLINEが入っている。

今、メール見ました。お待ちしてます。
来る時に、ウイスキー清酒を買って来て下さい。
部屋で中身を別の容器に移し変え、空瓶を持って帰り、駅のゴミ箱に捨てて下さい。
ご面倒かけますが、よろしくお願いします。

マサオ訪問はこっちからキャンセルした。

マサオの今の病状も知らないけど、なぜマサオが脳血管障害で半身マヒになったかは知っている。

にこんな頼みはしないで欲しい。

そういうことは何も知らない他の人に頼んでください。

飲みたかったら、おむつをしなくていいようにリハビリ頑張って自力で歩いて町へ出られるようになって下さい。

DVDや本は送りますが、酒を買って持って行くことは出来ない。

 

梅田へ出る。

年賀ハガキ、自分の正月酒など色々と買いものをする。

山長梅田で にごり酒「ど」を一升瓶で買う。

立ち吞みカウンターが空いていたので瓶ビール小と開運を呑む。

久々に頼んだ卵焼きがふわふわでめちゃ美味だった。

 

この卵焼きが絶品、次は小イワシの天ぷらにしよう。

夜は鶏団子とキノコの鍋。

サンドラッグで買った菊正ピン2リットルを買う。

お猪口をレンジで熱燗にする。

グンゼで身体を整える運動1セット、風呂に入る。

 

帰宅後、オンデマンドで紅白歌合戦アーカイブを見る。

www.nhk.jp1971年12月31日放送の紅白歌合戦

2時間ずっと見ていられる。

この年、僕は中学3年生だった。

歌番組で歌謡曲も熱心に聞いていた頃だったのでほとんどの歌を憶えている。

尾崎紀世彦レコード大賞を受賞、「また逢う日まで」を少し緊張して白組のトップバッターを担う。

紅組のトップは南沙織、17歳が「17歳」を歌っている。

司会は宮田輝水前寺清子

 

みんなのベスト紅白 懐かしの「NHK紅白歌合戦~第22回」(リマスター版・前編) - 動画配信

みんなのベスト紅白 懐かしの「NHK紅白歌合戦~第22回」(リマスター版・後編) - 動画配信

 

坂本九が歌う。

奥さまの柏木由紀子が横に並ぶ。

藤圭子が「みちのく小唄」を歌う。

当時、もう結婚していたのだろうか、前川清は病気で出場していない。

何らかの事情(急病)で出場してなかった前川の代わりに「港の別れ唄」を歌う。

これが素晴らしい。

僕が見ているのは半世紀あとの2024年、神の視点だ。

坂本九は14年後の1985年、御巣鷹山に消える。

紅白のとき24歳だった柏木由紀子は38歳で未亡人になる。

まだ20歳だった藤圭子前川清はこの紅白の翌年1972年に離婚。

藤圭子は数年後に音楽プロデュサーの宇多田某と結婚する。(7度の結婚離婚の末)

娘の宇多田ヒカル、は90年代にJポップ界を席巻する。

そして、藤圭子は2013年に62歳で死去。

自殺と言われている。

すべて天におわす神の視線。

翌年1972年はサッポロ冬季五輪が開催される。

紅白でトワ・エ・モアが「虹と雪のバラード」を歌う。

1972年、ということはこの紅白歌合戦が日本中に流れている同じとき、

群馬、榛名山中で連合赤軍が雪中訓練としてアジトにこもっていた。

まさに歴史を知ってしまった神の目線。

翌1972年の4月に僕は高校生になる。

まさか、そのときにこの紅白の生中継として見ていたこの映像を、67歳なって、

こうしてAppleというアメリカのコンピューターで見るとは想像出来るはずもないが、想像もしなかった。

長く生きるとはこういうことか…。