午後から出たが、駅まで行ったところで携帯(iPhone)を忘れたのに気がつく。
このあとの予定を脳内に浮かべると、編集チェックくらいしかなかったので取りに帰らず電車に乗る。
携帯も一日くらい休ませてあげよう。
仕事に出てから、あれもできない、これも出来ないのか、とちょっと困ったけど。
僕ら世代はどんなに仕事や仕事以外の予定が詰まっていても携帯電話なしでやってきた。
生まれた時から、“そこにあった” 世代とは違うのだ。
全然関係ないが、飲食店に荷物を入れるカゴが常備されたのはいつからだろう?
少なくとも20年前にはなかったような気がする。
もの心ついた時には、“そこにあった” 世代はなかったことを想像できないかも知れない。
それがどういうことだったのか
知っている人たちは
少ししか知らない人たちに
場所を譲らなければならない そして
少しよりもっと少ししか知らない人たちに
最後はほとんど何も知らない人たちに (シンボルスカ「始まりと終わり」)
かつて僕らの世代も世界の主人公だった。
おいおい、君たちはいま世界の主人公だぞ。
携帯を持たずに電車に乗っている僕は周りの若者を見てそう思った。
昼前に5㎞走る。
暖かくて手袋を脱ぐほど。
日曜日、気がつけば海沿いを人生の先輩たちが何人も散歩している。
実はあんまりトシは変わらないのかも?と思うが。
歩くくらいのペースだけど走れることに感謝。
自宅でインタビューの書き起こし。
会社で編集チェックとテロップ原稿の改訂、勤務報告などなど。
この程度の仕事でも仕事終わりには吞みたくなる。
日曜はたいてい「明けごころ」立ち吞み。
コの字カウンターで働くのは地味な夫婦か、兄妹か。
パっと見 二十代か三十代前半。
二人は立ち吞み屋をやっている人という雰囲気ではない。
大学のオタク系サークル仲間みたいな感じ。
とは言っても客の前ではしゃいだりはしない。
無口で静か、淡々と仕事をこなしている。
僕が知っているだけで10年近くになるけど、トシはとらないし、雰囲気は変わらない。
キリンの小瓶と白川郷、じゃこ天と鶏の唐揚げ(適量がうれしい)、おでん2種。
帰宅して室内陸上の動画編集。
あさってから秋田だ。
明日中にやっておくべきことはやっていこう。
今日は写真が少ない。
フォト日記にならないので日録に載せる。