ぷよねこ日々御留書 since2023

「にちにちおとどめがき」 毎日更新 日々の記録です。

2023年1月28日(土) 撮 影 完 了

 

冷えこむ。

加古川大阪マラソン企画の市民ランナーの撮影。

このところの寒波でJRが乱れている。

1時間前倒しで出発。

普通で須磨まで行き、加古川行きの快速にうまく乗り継ぐ。

合流時間の1時間まえに加古川駅に到着。

天気良好。

播磨の法隆寺と言われる鶴林寺までブロンプトンで往復する。

大阪から車で撮影機材を運んできたA木と駅で合流する。

インタビュー、キャンピングカー、走行シーン、ランニングシーンなどなど。

4時前にドタバタながら撮影を完了する。

仕事量が少ないとこれくらいのささやかな撮影でも全力を尽くす。

それなりにプレッシャーもあったので無事終えてホッとする。

まだ編集もオンエアも終わってないので安心できないぞ。

 

帰りも加古川駅から。

ダイヤはほぼ正常?というわけではないが、不便はないくらいに復帰していた。

神戸駅で下車し、角打ちの石井商店へ行くも…予想されたことだけどお休み。

新開地の世界長直売所でひとり打ち上げとする。

6時過ぎに帰宅。

 

朝、往路の電車で老夫婦に席を譲った。

これは“3つの良いこと”のできたこととして書き記そう。

徳を積む。

これで来世も人間かな?

いや、生まれ変わりはネコがいいな。

村上春樹がエッセイで紹介していたが、ねこの時計には数字ではなく、

「食う、寝る、遊ぶ」(eat play nap)という表示しかないのです。

ふと思った。

65歳の人間が席を譲るって若い人にはどう映るのだろう。

うーん、想像出来ないな。

もし19歳の僕がそのシーンを見ていたら日記に書くのだろうか?

「きょう、電車でおじいさんがおじいさんに席を譲っているのを見た。世界は捨てたモノじゃないなと思った。」

とでも書いてくれたら本望だ。

 

愛読しているブログ「還暦 〜精神年齢40歳〜 」にこんな表現があった。

1を聞いて10を知る人は切れ者です。仕事のできる人です。

かつて…僕はそう言われたことがある。

それは大学生時代に金沢で新聞配達をしていた時だった。

新聞専売所のおばさんに言われた。

「シオダくんは優秀や。1を聞いて10を知るとはシオダくんのことや。」と。

僕は配達の他も集金や怪我をして配達が出来ない人の替わりに配ったりした。

配達先と道順は一度回ればすぐに覚えられた。

当時、若干十九歳。

この「1を聞いて…」という慣用表現を僕は知らなかった。

へえ、そういう誉め方があるのだと。

哀しいかな、その後の人生で「1を聞いて…」と言われることは二度となかった。