年末恒例となった大先輩の玉戸翁(78)宅へ行く。
少し迷ったが、天気も良く寒くもないのでブロンプトンで行くことにした。
阪神なんば線に積み込み、大和西大寺で乗り換え平端、天理線に乗り換え近鉄天理駅。
ブロンプトンを組立て商店街の「更科」で待望の鍋焼きうどん。
*鍋焼きうどんを食べた話は「ぷよねこ減量日記」で詳しく。
懐かしい昭和の空気漂う店内、米澤穂信の警察小説を読みながら鍋焼きうどんを待つ。
鍋焼きうどんと酔鯨でカラダがあったまる。
玉戸さん宅のある長柄まで国道169号を南下する。
大和神社(おおやまと)の案内表示がある道を入る。
両側が住宅のせまい道を走っていたら、おい!と玄関先から声をかけられた。
玉戸さんだった。
そうか、この道はこう繋がっていたのか。
玉戸さんはことし8月から9月に一カ月ほど入院していた。
十二指腸がんで開腹手術した。
いまのところ転移もなく、回復期だとのこと。
買いものは親戚の人が週に一度車でスーパーへ連れて行ってくれるが、
もう自転車にも乗りたいし、毎夕にはウォーキングもしているという。
ヒロのつくったクリスマスカラーのロールケーキと大江海苔を手土産にした。
「これ奧さんが作ったのか? いい奧さんだなあ」
という話から、若くして亡くした奧さまとの出会いの話になる。
出会ったのは映画会社に勤め始めた1年目の夏、伊豆大島へ遊び行った帰りの船着き場だった。
そこから話はあちこち飛ぶがどれも楽しいエピソードだった。
奧さんの実家のある蒲田という町の盛衰記、奈良から上京したのは1964年の春、その年の秋に東京オリンピック、北区十条の三畳一間のアパート、目黒のアパートでいっしょに住むようになり、関西へ移るときに女房は反対したという話などなど。
そこから玉戸翁の出生の話になり、これがまた興味深い。
生まれたのは1945年8月20日、なんという時代に生を受けたのか!
「実はおれ、生まれたときはイトウ姓だったんだよ。」と。
「話は長くなるけど聞いてくれるか?」
はい聴きたいです。
「いま住んでいるこの長柄に戦時中に兵舎があったんだよ。そこは全国から新兵を集めて外地へ出征させるまでの待機所みたいなところでな。そこで母親とイトウ氏が出会ったんだよ。」
その後、なぜ母親側の玉戸姓になったか…。
話は尽きない。
1時間があっという間だった。
マサオが会いたい、玉戸さんは元気か、とずっとLINEしてきてたので、
前もってこの日の2時半に玉戸さん宅から電話すると伝えていた。
何度も電話して呼び出すが出ない。
西大寺駅の立ち吞み処「豊祝」で軽く一杯やる。
いつかここで腰を落ち着けて、と思うがなかなか実現しない。
西大寺駅構内にあるアンファンでプチシューを買って帰る。
玉戸さんから、かりんとうと飴をもらう。
夕食は風邪撃退鍋。
米澤穂信「可燃物」からの一編、「ねむけ」を読む。
嫌な気持ちになるミステリー、イヤミスの本領発揮。(笑)