ぷよねこ日々御留書 since2023

「にちにちおとどめがき」 毎日更新 日々の記録です。

2024年2月8日(金) 洛 中 若 冲 散 歩

喧騒の伏見稲荷から1キロ離れてない石峰寺、五百羅漢は伊藤若冲のデザイン

 

きょうは朝から京都へ。

JR快速で京都へ乗り換えなし。

奈良線に乗り換えて二駅、稲荷駅下車。

稲荷駅前はインバウンドでごった返す。

大鳥居を90度曲がって路地を歩く。

きょうは若冲散歩、最初は石峰寺(せきほうじ)。

晩年、若冲が暮らした伏見の古刹。

石峰寺(せきほうじ) - 京都の観光情報

ここに庵を結んだ当時、若冲が下絵を描き、石工が彫った五百羅漢がありる。

誰もいない寺の裏 にある竹林、苔むす羅漢の径を歩く。

時折、風の音、時折、鳥の声、閑かさだけが染みいる。

 

五百羅漢が彫られたのは 天明の大火 以後である。

伊藤若冲(1716-1800)墓石に若冲居士とある。

 

石峰寺で若冲の墓参りを終え、歩いて最寄りの駅、京阪本線龍谷深草駅へ。

京阪電車で北上、神宮丸太町駅で下車する。

遅めのランチは「italgabon(アイタルガボン )」にてパスタとサラダ、エスプレッソ。

この店は岡本仁のこの珈琲指南書で見つけ、いつか行きたいと思っていた店。

おそらく四十代前半の夫婦、二人で営む良き空間でした。

フレッシュサラダと自家製パンのトースト

食後に能登のさいはての珈琲焙煎所 二三味珈琲のエスプレッソ

丸太町河原町から府立病院の前を通り、今出川通り。

出町商店街を抜けて先月も来た相国寺の美術館へ。

会期延長した「若冲と応挙」、ことし二度目の観賞時間を得る。

第一展示場を飾る「動植彩絵」三十幅と仏絵三福をぐるぐると何度も回る。

南天の赤い実と軍鶏を描いた「南天雄鶏図(なんてんゆうけいず)」に圧倒される。

射すくめられるような軍鶏の迫力はいかに。

美術館のテレビモニターで若冲のドキュメントを見る。

堪能した。

 

「動植彩絵(どうしょくさいえ)」三十幅

午後4時半。

同志社大学構内を抜け地下鉄駅へ。

烏丸線で四条下車。

錦市場の錦高倉、ここが伊藤若冲の生家 青物問屋の桝源があった場所。

石峰寺から初めて生家の錦まで。

若冲の一生を遡る散歩を終える。

 

錦高倉の生家跡で若冲散歩を終える。

 

コロナの最中にひっそりとした錦を歩いたことが遠い昔のように思える。

インバウンドが戻った錦市場は凄かった。

なんと形容していいかわからない。

凄いな、と声に出る。

ここまで来てしまったのか…と。

新しく食のテーマパークを作りました、という感じ。

かつて川魚の焼いたのとか佃煮とか、京野菜とかコロッケとかを売っていた錦とは別物で。

若冲が生きていたら、この錦市場をどう描くだろう。

「錦町彩絵(きんちょうさいえ)」を見てみたい。

 

アーケードを外れるとひっそりとしている。

冬の京都で行きたかった店の前に立つ。

木枯らしの寒夜、であればなおさらよかったが、今夜はさほど冷えこまない。

「権太呂」 その店構えの逡巡する。

お一人様でも大丈夫だろうか?

 

気楽に入れる雰囲気ではないが…入った。

入れば普通に席を案内されて…蕎麦の巻揚げと伏見の沢屋まつもと冷酒

これが食べたかった けいらん蕎麦

 

食べたかった けいらん蕎麦(卵あんかけ)は旨かった。

旨かったが調味料である 寒さ が足りない。

そういう勝負では 天王寺「すゑひろ」のアルマイト鍋のなべ焼きうどんや、雪の日に食べた近江坂本の日吉そばの古代蕎麦に軍配が上がる。

それに料亭のような立派な設え店より、仕舞た屋風の店で食べる熱々麺類がいい。

puyoneko2016.hatenablog.jp

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観光客が少なくなった錦市場

いくつかの土産物屋や雑貨店、食堂はシャッターを下ろしていた。

そのシャッターに若冲の画が描かれている。

若冲の画の傍らにゴミ袋、という図が可笑しい。

この石灯籠の屏風図、小説「若冲」の最終章で描かれる。
史実かどうかは不明なれだど、哀しき逸話。


帰りの阪急電車で「街道をゆく 白河、会津のみち」を読む。

帰宅後にもNHKオンデマンドで『街道をゆく 白河、会津のみち』を観た。

今日は若冲の京都から、夜には奥州白河の金山、会津若松、さらに会津藩が移住させられた下北半島まで旅した。

長い一日、長い旅でした。

おやすみなさい。

 

この日のフォト日記はいずれ「ぷよねこ減量日記」にアップ予定です。