ぷよねこ日々御留書 since2023

「にちにちおとどめがき」 毎日更新 日々の記録です。

2023年12月11日(月) 二 夜 連 続 の す き 焼 き

午前中に病院通い。

8月に脳のMRIを撮った渡辺心臓・脳血管センターへ定期健診。

その時、動脈硬化が進行していると指摘されて、また半年後に調べましょうと言われたのだ。

定期健診と言っても何かを調べるわけではなく、血液サラサラにする薬を出してもらうだけ、3分で終わる。

三十代の担当医が「2月にいい結果が出るといいですね」と言う。

前回、診察室にベビーカーを置いていた人だ。

「でも、細くなった血管が元に戻ることはないですよね」と口に出て、しまった、と思った。

「現状を維持して、動脈硬化が進行してないといいですね」と言われた。

2月にまた進行していたら、どうしたらいいのだろうか。

 

 

帰りにカルディで珈琲豆を2種類買う。

きのうの夜にすき焼きを食べたので、今日の昼はお粥にしてもらう。

ドキュメント74時間の「北海道・礼文島 最果てのユースホステルで」を観る。

いまも昔のようなミーティング(交流会)のある礼文の桃岩荘ユースの3日間だ。

30年前に僕もこのユースに泊まったことがある。

1993年の7月、まだ若者が泊まる宿が少なかった時代。

手元に旅の日記が残っている。

10泊11日(フェリーで3泊)、行きはフェリーを乗り継ぎ、帰りは今はない日本エアシステムJAS)だった。

僕はスポーツニュースのディレクターとして仕事をしていて36歳だった。

当時、ユースホステルでは年配の客だったと思う。

 

ドキュメント72時間は癖になる。昨日から3本目だ。

番組の舞台となった礼文島ユースホステルにて1993年7月撮影
右端のパープルのポロシャツが36歳当時のぷよねこです。

 

番組を見ていて、取材班にインタビューされていたある男性に見覚えが…。

いっしょに利尻山に登ったことある人かも?

その人は家族連れで、インタビューでは年齢は55歳、兵庫県から来て、職業は鉄道関係、そして最初に礼文へ来たのは1991年だという。

記憶の糸が次々とつながり、僕はアルバムから一枚の写真を出した。

ビンゴ!

かつていっしょに旅をともにした人にテレビ画面で30年ぶりに再会した。

なんか嬉しい。

これは追って「ぷよねこ減量日記」に書こう。

 

1993年7月13日 利尻山登頂。
頂上で前日に起きた奥尻島津波のニュースを耳にした。
ここに映っている一人にドキュメント72時間で再会した。

 

現実逃避、サボってばかりはいられない。

あすは奈良へ玉戸翁の見舞いに行くつもりだったが、仕事が捗らず、天気予報が悪い。

延期しようと決めたら、きょうやるべきコトを明日へ先送りした。

せめて、その作業(テロップ原稿作成)の準備だけでもしておこうと夕方、1時間ほど集中した。

 

昨夜のすき焼きは用意した半分しか食べられなかった。

まるまる半分の食材が余ったので連夜のすき焼きとなる。

食が細くなり、とてもじゃないが今までと同じ量は食べられない。

二夜連続のすき焼きでした。

 

今日もまた「ドキュメント72時間」を観てしまった。

備前市の大阪屋という国道沿いのドライブイン

長距離のトラックドライバーたちが食事と仮眠で使っている。

みんな大盛りのホルモンうどんとか、カツ丼とか、ミックスフライ定食やあんかけ焼きそばをワシワシ食べている。

うやらましいな。

食は生命そのものだと思う。

 

ドキュメント72時間は毎夜 リアルな夢を見せてくれる。

観ていて思った。

ドキュメント72時間の魅力とは?

自分にもあったかもしれない “もうひとつの人生” を番組が見せてくれるからではないだろうか。

長距離トラックを走らせて九州や四国を往復する50歳のシオダヒロシ。

きょうは車中泊して、朝ごはんを食べて、長崎まで走るのだ。