南信州 飯田でめざめる。
今日も快晴、この幸運はどこまで続く?
旅の3日目、懸案事項であった対談収録のロケ場所のアポは明日以降に連絡が来ることになった。
いったん忘れて町散歩を愉しもう。
この町へ行こうと思ったのは安西水丸「ちいさな城下町」だった。
この本にある水丸さんの訪ねた町はハズレがない。
旅の楽しみの一つとして、何処か地図で城址を見つけ、そこを訪ねることがある。
たいていの城下町には城址があるわけだが、ぼくの城下町の好みは十万石以下あたりにある。
そのくらいの城下町が、一番それらしい雰囲気を残している。
(安西水丸「ちいさな城下町」)
この本で知って訪れた城下町は…2018年春に村上市(新潟)、2019年冬に西尾市(愛知)、春に亀山市(三重県)と新宮市(和歌山)、夏に米子市(鳥取)、2000年冬に掛川市(静岡)、2021年秋に高梁市(岡山)、ことしの冬に岸和田市(大阪)へ行った。
この本に載ってなかったら行くこともなく、通過してしまっていたかもしれない町もいくつかある。
今回の飯田で9つめのちいさな城下町だ。(本では20の城下町が紹介されている)
城址に立つと「つわものどもが夢のあと」とでもいうのか、ふしぎなロマンに包まれる。
なまじっか復元された天守閣などない方がいい。
わずかな石垣から漂う、敗者の美学のようなものがたまらない。
人間の待つ、権力への憧れや恐怖心も城址から感じ取ることがある。
兵どもの夢の跡でボトルにつめた当地の酒を飲む。
これが最高だ。
今後行きたいベスト5は…朝倉市(福岡)、行田市(埼玉)、大洲市(愛媛)、中津市(大分)、沼田市(群馬)かな。
さて、飯田です。
飯田には天守どころか櫓も堀も堀さえも残っていない。
唯一、崩れかけた石垣だけがほんの一角に残されているだけだ。
それでも市内の地名や町名に城下町の空気が濃くぞくぞくする。(by 水丸)
主税町、追手町、伝馬町、仲の町、水の手通り、銀座(繁華街の呼称ではない)…。
それだけで酒が飲めるくらいに。(笑)
この城は長姫城とも呼ばれていたらしい。
戦後すぐ、この町の飯田長姫高校がセンバツ高校野球で全国制覇した。
当時の飯田の盛り上がりは尋常ではなかったろうと想像する。
戦後では町の七割を焼き尽くす大火があった。
(戦後では焼失面積で日本最大の火事)
それが1947年4月、敗戦して1年半後だ。
飯田長姫高のセンバツ優勝は1954年4月、大火からちょうど7年後だった。
町の中心を貫く大通りにはリンゴの木が並木がある。
大火からの復興のシンボルだという。
傍らには当時の火事で奇跡的に焼け残った蔵がある。
また、昭和3年に出来た鉄筋3階建ての追手町小学校はまだ現役で、校舎からは子どもたちの声が轟いていた。
そんな歴史が書かれた碑が町のいたるところにあって、想像するのも愉しい。
また歴代の飯田藩主も聞き覚えのある名前が多い。
戦国時代は毛利氏、京極氏。(毛利氏は広島の毛利とは違い織田、豊臣の家臣だった毛利氏)
江戸期には、脇坂氏、堀氏と続き明治を迎える。
現在飯田の人口は10.1万。
伊那地方の広大な農林業地帯をもち、その中心地である飯田の繁華街は人口規模に比して大きいように思えた。
江戸期の地方分権時代はそれなりに栄えたのだろうなと想像する。
2つの川に囲まれた高台にある飯田の町、東北の方角に雪をかぶった南アルプスが見えた。
日録が渋滞してしまったので、以下に行動メモのみ記す。
・飯田城温泉へ行こうとするも12時オープン、バスの時間に間に合わないので諦める。
・バス停近くの「満津田食堂」でヒレカツ定食と瓶ビール。
・店内に力士の写真、名前が満津田とある。この店の息子らしい。
・飯田商工会館前が始発の12時25分発長野行き高速バスに乗る。
(信南バス 名鉄バスセンターまで2時間ちょっと、2900円)
・午後3時半、刈谷の実家へ行き老母(91歳)に会う。
・名古屋駅構内の立ち吞み「大黒」でホッピーと味噌おでん3種、駅のホームにある「住吉」できしめん。
・新幹線で新大阪へ、21時頃に帰宅。
最近、2日も家を空けるともう帰りたくなる。
小学生か!(笑)
思えば最近、一番長く家を空けたのは去年暮れの京都と名古屋に2泊ずつしたときか。
その前は…2019年の新潟、佐渡で同じく4泊か。
一週間規模の長期出張はもう十年近くしてない。