大阪駅に初めて降り立ったのは憶えている。
1979年の4月だった。
僕は大学3年で、金沢から夜行の急行「きたぐに」で大阪へ着いた。
まだ昭和で、当然ながら大阪駅の改札口あたりやコンコースにも昭和の雰囲気が残っていた。
大きなザックを背負った僕にタクシーの運転手が近づいてきた。
「にいちゃんどこ行くの?」
「南港まで」
「5000円にしとくで」
今思えば白タクという違法のやつだった。
タクシーに乗るような余裕のある旅でも無いし、当時はひとりでタクシーなんて乗ったこともなかった。
白タクのおっちゃんに地下鉄の駅を教えてもらった。
(南港からフェリーで2泊3日、初めての沖縄だった)
当時の大阪駅を思い出させるものは何一つ残っていない。
あれは日本だったのか…。
1979年といえば今から44年前、戦後34年だった。
戦争の方が近かったのか…。
あの白タクのおっちゃんに教えてあげたい。
「阪神と阪急は合併して同じ会社になるんやで」
「んな阿呆な!(笑)」
国際空港のようなシン大阪駅を撮って、しばし感慨にふける。
午前中からきのう繋いだ3分番組の構成表を打ちこみ、テロップ原稿を書く。
こんなふうにスローペースで進めて行けば仕事は続けられる。
ドイツ旅行帰りのA部氏と天六で蕎麦吞み。
ときどき行く「八」だが、今日はなんだか料理がダウングレードしていた。
以前までは本鮪の造りは中とろや赤身の厚切りがたっぷりあったのだが、今日はめちゃしょぼかった。
これで980円はないだろ、と。
京橋の立ち吞みの方がよほどマシなものが出る。
何かあったのだろうか、マグロの刺身ひとつで日本の凋落を感じてしまう。
もう一軒、肴やのスタンドで赤ワインハーフボトルを飲む。
諏訪の旅を提案すると盛り上がる。
この秋は諏訪の温泉と酒蔵めぐりだ!
それを生きがいに数ヶ月を生きていこうと思う。
以下、フォト追加です。