いつかは血管疾患で倒れる。
そういう強迫観念がぼくにはある。
虚血性心疾患、つまり脳卒中、心筋こうそく、大動脈解離など血管が詰まったり、破れたりする病気。
トシをとれば誰にでもあるリスクだと思うが、糖尿病、高血圧、高脂血症の危険因子満さいな身体でなおさら発生確率は高まる。
今さらどうしようもないが、せめて現状維持を目標に、運動して、暴飲暴食はせず、睡眠を十分にとることを心がけている。
無理はしないことを旨としている。
マサオを見舞うのが辛いのはそういう強迫観念があるからかもしれない。
マサオの場合、重労働、過度の飲酒、喫煙、家庭事情、経済事情による心的ストレスの末に血管が破綻した。
「僕は内臓疾患じゃないから、いまでも吞もうと思えば呑める」と入院先からLINEしてきたが、「正真正銘の内臓疾患やん」と返した。
内臓疾患は消化器疾患だと思っているフシがある。
朝倉かすみの小説に「その日、その夜」という短編がある。
コロナ禍になった3年前に読んで日記に書いた。
朝倉かすみの短編集を一日一編くらいのペースでゆるく読んでいる。
3日前に触れた「たそがれどきに見つけたもの」に続いて読んだ「その日、その夜」という一編。
五十代の独身女性(職業は小説家)が孤独死するまでの日常をちょっとユーモラスに描いている。
酒量も多く、ヘビースモーカーだった(とある)彼女はトイレで排便中に亡くなる。
心筋梗塞で突然死だった。
僕も「その日、その夜」、その言葉の響きに怯えている。
結婚せずにずっと独身だったら…。
「その日、その夜」はとっくの昔に来ていただろうと思う。
最近とみにそう思う。
食べるものは凄く大事だ。
毎日、身体に摂り入れるもので人は生きている。
独身のときもそこそこ規則正しい生活が出来た時期もあった。
でも、人は緩む。
一人だと甘えて、どこかで破綻しやすい。
意志の力ほどアテにならないものはない。
独身でなくとも…別の女性、たとえば仕事を持った人と結婚してたら。
たとえばもっと海外旅行をしてたとか、他の場所へ移住してたとかの愉しみはあったかもしれない。
でも、確実に言えるのは還暦を越えた今の健康は保てなかっただろう。
毎日の食事に今ほど気を使ってもらえないのは明白。
やがてどこかで「その日、その夜」を迎えていたと。
(もちろん今だって、今後も可能性はあるのだけど)
小説を読んで、そんなことを思う。
血管が細くなってしまった(狭窄)。
元には戻らない。
もはや進行を遅らせるくらいしか出来ることはない。
年齢が高くなればなるほど “その日、その夜” のリスクは高まる。
それは動かしがたい事実だ。
だから、疲れたとか言わず、どうせ同じだとか言わず、いいことなんてもうない なんて言わずに、面倒くさがらず、やりたいことは明日には手をつけよう。
そういう生き方をしよう と改めて思う…という決意に至るのです。
猛暑は続く。
9月に入ってよりいっそう猛暑になったような気がする。
午後遅く散髪に行く。
白髪ぼかしはせず、通常のコースで1時間、さっぱりする。
二ヶ月おきだから次は11月か… すっかり涼しくなってるね。
そう思うと少し嬉しい。
ユイ西梅田店の上にウエダ商店がある。
17時に予約投稿しておいたYou-Tube動画をチェックしながら翠ジンソーダを飲む。
ほていの焼鳥缶詰220円、アジフライ(出汁)220円、冷やし素麺220円。
愛媛の梅錦の冷たいのを一合で〆て1100円也。
ちょっとだけ局に顔を出して、勤務報告と以後のスケジュールを確認する。
今夜もまた熱帯夜。