ぷよねこ日々御留書 since2023

「にちにちおとどめがき」 毎日更新 日々の記録です。

2025年1月17日(金) 日帰り帰省と名建築散歩@Nagoya City

母は去年九十二になった。

昭和七年生まれ、西暦だと1932年、五・一五事件の年。

四十代のころから末の妹夫婦と同居している。

六十代からマンションの奥の一室をもらって暮らしている。

さすがにもの忘れは日常茶飯事だし、足腰はかなり弱ったがまだ独りで歩ける。

つきっきりで介護の必要はない。

妹もギリ五十代でまだ元気だし。

感謝しかない。

 

母に会ったのは去年9月、九十二歳の誕生日だった。

自分も高齢者だし、残された時間も少ない。

これまでは年に2回ほどのペースだったが、これからは可能なら季節に一度、可能なら隔月で会おうと思った。

気がつけば4ヶ月が経っていた。

時間が出来たので日帰りで会ってきた。

 

   

 

往復には新幹線の回数券をチケットショップで買って使う。

青春18きっぷも使えないし、近鉄特急も難波まで出ないといけないし面倒だ。

往復で1000円ほどしか変わらないなら、時間を金で買う。

片道1時間と2時間半の違いは大きい。

帰省のたびに名古屋市内や近郊の観光をするなら都合がいい。

調べたらJR東海の「ぷらっとこだま」なら近鉄と変わらないみたいだ。

 

通勤客が少なくなる9時台の快速で新大阪へ。

名古屋までは京都しか止まらない「ひかり」に乗り、11時前に名古屋着。

速い!

 

名古屋観光、行く場所は決めていた。

名古屋市役所

名古屋市市政資料館

地下鉄桜通線で「久屋大通」、そこから歩いて二ヶ所を巡る。

 

どの都道府県も県庁舎や市庁舎は明治や大正、昭和初期に竣工された。

当時の冨を集めて作られてのでそれなりにどの自治体も立派で見応えがある。

その時代は欧米に追いつけ追い越せの開発途上国だったので、その建築も西洋風の立派な建築で見応えがある。

若い頃に見ても、ふーん、これ古いな、としか思わなかった。

アホでした。(笑)

 

名古屋市役所(国指定重要文化財

名古屋市役所本庁舎、昭和8年竣工で88年、令和3年に3代目庁舎を紹介(市役所本庁舎物語)

威風堂々の名古屋市役所本館、上部は城郭天守のようです。

中央渡り廊下、映画のロケ出来るよね。

連続テレビ小説「虎の翼」、ここ名古屋市役所の廊下でロケがあったようです。

 

名古屋市市政資料館(国指定重要文化財

元は控訴院、高等裁判所でした。

「虎に翼」の主要なロケはここで行われました。

去年の大晦日、紅白で米津玄師が「さよならまたいつか」を歌ったのがこの正面階段でした。

朝ドラのロケ地「名古屋市市政資料館」に行ってきました。 | トラベルマガジン

赤煉瓦マニア垂涎の巨大な赤煉瓦建築。

まるで美術品のような内部、「虎に翼」や紅白の舞台になった階段です。

 

建築の様式や歴史に詳しいわけではない。

こうした空間に身を置くのが快感なのだ。

この建築物をつくった百年前に生きた人々の気分になって どや顔 気分に浸るのである。

 

市政資料館から栄まで歩く。

「錦」でカレーうどんを食べようと思って歩いたが店は休みだった。

地下鉄東山線で名古屋へ。

JR東海道線の新快速で刈谷駅まで急ぐ。

老母は自力で自分の部屋から歩いて出てきた。

いっしょにテレビを見る。

ワイドショーでは震災30年の企画が流れている。

阪神淡路大震災から30年、僕らも30歳トシをとってしまった。

僕は37歳、母は自分の今より若い62歳だった。  

 

    



4時半に辞す。

次ぎに来るのは春、桜のころだろうか。

まずはそれまでお互い元気で暮らしましょう。

名古屋駅で途中下車、高島屋のデパチカで鮨と日本酒を仕入れて「ひかり」に乗る。

居酒屋新幹線で帰途を愉しむ。

 

「小左衛門」は岐阜瑞浪の蔵、これは鮨に合う銘柄だそう。

8時過ぎに帰宅。

「おやじキャンプ飯」の大分編#3を見る。

 

以下、写真とキャプションで綴る名古屋観光日記を追記します。

 

━━━━━━━━━━ 続く ━━━━━━━━━━━━

名古屋には浪人の時に一回、バイト生活で一回、馴染みの時代がある。

どちらも名古屋=わびしい青春時代(笑)でした。