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「にちにちおとどめがき」 毎日更新 日々の記録です。

2024年12月11日(水) 飛騨國&越中國 酒蔵めぐり二泊三日 Day 3

酒蔵巡りのフィナーレは富山の酒 「満寿泉」

 

飛騨越中二泊三日旅もきょうが最終日、雨が降ったり止んだり、午後からは強くなる。

富山マンテンホテルで朝風呂、朝食券をとりにいったん部屋に戻って出たら、キーを持たずにオートロックがかかった。

いまどき珍しいね。(笑)

朝食後、スタッフに開けてもらう。

チェックアウトで忙しいときにすいません。

 

今日は最初からフォト日記です。

 

1. 剱立山連峰富山市内から剱立山連峰を眺む。

 

バイキングではありませんでした。カウンター上に立山連峰の写真が!

いかそうめんは嬉しい。

食堂のブラインドのすき間から見えるのは立山連峰ではない?

ここんとこ富山へ行きたいと思っていた動機は剱立山連峰の展望だった。

冬の北陸はそもそも晴れは期待出来ないので見えたら儲けものくらいに考えていた。

↓ は富山市観光協会のインスタ。

そうか、一日遅かったか…。

 

 

ホテル10階の露天風呂から撮る。立山連峰は雲の中。

左の雲の中が剱岳かな?

この山も前山だろうな。

雨も止んできたのでもしかしして?の期待をこめて富山市役所へ。

市役所には展望塔がある。
高松、松山、北九州、富山…最近は地方都市を訪れると俯瞰したくなる。

この方向に剱立山連峰が見えるはずだが…

富山城跡が真下に見えた。山の展望は次の機会にしよう。

 

2. 富山ライトレール PORTRAM で岩瀬浜へ行く。

 

立山展望もイマイチなので在来線で金沢に移動して、「ドキュメント72時間」で観た石川県立図書館へ行き、

学生時代なつかしの町中華でランチでもしよう。

そう思って駅に着くも…在来線「あいの風とやま鉄道」は1時間以上待たねばならない。

そして、よくよく調べてみたら町中華は水曜定休日だった。

ならば、関川夏央の鉄道紀行を読んで 乗りたい と思ったライトレールに乗って岩瀨浜を往復しよう。

かつてこの路線がJRの富山港線だった1994年、高山へ行った帰りに乗ったことがある。

そのときは立山連峰も見えて、岩瀨浜の鮨屋で満寿久を飲んだ記憶がある。

日記に「寿司はイマイチだった」とある。(笑)

マフラーを置き忘れて鮨屋の店主が駅まで届けに来てくれたなんてことも書いてある。

 

ヨーロッパの街を走ってそうなモダンな車体

駅ビルの中に線路が貫通している感じ。

ホームは車いすでそのまま乗れるバリアフリー

20分くらいで終点 岩瀨浜の駅に着く。
富山ライトレールは会社名、車体にはポートラムとある。
他にはセントラム、サントラムがある。
各駅もホームとの段差がなく車いすで乗れるバリアフリー

 

旅の間、Kindleで読んでいた。

富山ライトレールは、そのカーブが終るまでの1・1キロを路面電車化した。

そこから先は、旧JR線のレールを流用する。始発駅(停留所)は富山駅北である。  

車輌は超低床の二車体連接、これが七編成あって、それぞれに色分けされている。

美しい、というより、かわいい。

定員は立席も含んで80人、平日の午後にだいたい40人乗っていた。

座席は埋まっている。  

沿線人口は約45000人、十年前から微減にすぎない。

なのにJR富山港線時代の一日平均乗客は90年代なかばで一日六千人、

それが2005年秋には2300人(休日千人)にまで減少した。

運行本数も最盛期の半分、一日十九本となった。  

2006年4月29日のライトレール開業日には12705人が乗った。

ご祝儀乗車が大部分だったろうが、八月末までの実績では一日平均5300人、

当初の目標3400人を大きく上まわった。  

閑散時間帯でも一時間に四本、終電も従来の21時台から23時台まで遅くした。

運転本数はJR時代の6倍、新駅をつくって駅間も600メートルと短縮したうえに、

車椅子もそのまま乗れる低床車輌と低いプラットホームが功を奏したのだろう。

しかし、それでも経営は楽ではない。  

2015年に北陸新幹線富山駅に入る予定だ。

そのとき富山駅南口までライトレールを延ばし、

南口から市の中心部をめぐる富山地方鉄道の路面軌道との直結をめざす。

そのときまで、なんとか赤字を最小限にとどめたい。

 

富山湾に面した町、岩瀬は大正期まで日本海海運で繁栄した。

JR富山港線の遠い前身、富岩鉄道も土地の有力者たちが敷いたのである。

それら旧家と運河などの観光にライトレールが使われれば、地元客とあわせて、

地方中核都市と路面電車の相性のよさが実証できるだろう。

神岡鉄道富山港線、ふたつの旧JR盲腸線のあり方は対照的だった。  

神岡鉄道廃線は時の流れである。

車と人口減と泣く子には、ローカル線は勝てないのである。

しかし、富山ライトレールには希望を感じた。

こざっぱりとした車体やシステムそのものに肩入れしたくなった。

このような路面電車の頑張りを見るのは、中年の心の健康に大いによさそうである。

 

関川夏央. 寝台急行「昭和」行 (中公文庫) .  Kindle 版. 

 

 

3. 雨の岩瀨浜を歩く。

 

岩瀨浜はかつて江戸時代初期から日本海を行き来する北前船の港町として栄えた。

鳥取の賀露、京都の宮津や福井の三国のような古い港町。

今は近代的な富山港の一部になっている。

僕が1994年、30年前に訪れた時はロシア船員の姿があった。

雨が強くなる。

傘をさしてとぼとぼ歩く。

 

岩瀨浜駅からすぐのところにあるカナル会館、運河沿いの建つ。

そもそも白海老は夏のものだったはす。

カナル会館を運河側から見る。雨は止まない。

運河沿いを歩く。セルフィーで獲る。

岩瀨運河、橋に立ち東を望むが…何も見えない。

晴れていれば…

洒落たショップもあったが…開店休業?

富山湾展望台、常夜灯をイメージしたデザインだという。

高いところは登ってみよう。

エレベーターはない。

晴れていれば…という一日です。

岩瀬の古い街並み、雨に濡れた瓦屋根は絵になる。

 

4. 桝田酒造の「満寿泉 沙石(させき)」を訪ねる。

 

30年前、ここ岩瀨浜を訪れた理由は満寿泉(ますいずみ)という酒にある。

地酒ブームになる前、取材で訪れた富山で土産に買ったこの酒がことのほか美味しかった。

関西でも一部の店で買えた。

いつか行ってみたいと訪れた。

そのときは試飲などもなく商売っ気もなかった。

この30年で代替わりして変わったようだ。

colocal.jp

30年前はあったであろう電柱がない!

街に入るといきなり「満寿泉」があった!杉玉も青い。

入ると…驚いた。期待が膨らむ店内仕様。

酒蔵の試飲としては珍しいシステム。
15分飲み放題で1000円、30分なら2000円。

通常の銘柄から四合で5000円〜10000円近くする酒も呑める。
新酒から古酒まで100種類ほどある。

15分のスタートはフラッグシップ的な純米吟醸から。

この空間もまた良し。15分で4種類試す。

僕のあとにA&Nコンビが30分コースで呑んだもの。

 

5. 雨の東岩瀬を歩く。

 

「満寿泉 沙石(させき)」で一合弱飲んだだろうか。

ほろ酔いで東岩瀬駅まで歩く。

途中、この町の回船問屋の名家のひとつ、公開中の「馬場家」を見学する。

馬場家住宅跡、入場料は100円でした。

とにかく大広間が広い。いくつもの間に仕切ることも出来る。

2階から瓦屋根を獲る。

他にも森家、米田家などいくつも廻船問屋があった。

東岩瀨駅方面へ歩くとまた杉玉が!
見覚えがある。ここが30年前に訪ねた桝田酒造だ。

30年前、当時はデジカメも無かった。写真も撮ってない。

東岩瀨の小学校、雨の紅葉も美しい。

東岩瀨の駅舎はかつてのJR富山港線のまま保存されている。

駅舎の中は座敷があった。

腹が減った!

町中華だが満州系?青島ビール小瓶と皮厚の餃子、ニラ玉。

駅に戻り、A&Nコンビの到着を待つ。

二人が到着、「満寿泉 沙石(させき)」への道案内をして別れる。

岩瀬駅ホームより岩瀬港方面を望む。

雨が強くなってきた。

14時過ぎ、ふたたび富山駅ホームに立つ。
■富山    14番線発 
|  つるぎ29号(E7/W7系)(敦賀行)   183.7km   
|  14:39-16:01[82分]
|  5,720円( 指定席 4,370円 )
◇敦賀    11番線着 [乗換8分+待ち4分]
|  サンダーバード30号(大阪行)   136.9km   
|  16:13-17:36[83分]
|   ↓ ( 指定席 ↓ )
■大阪    3番線着 

 

敦賀からサンダーバードへの乗り換えは新幹線ホームの真下で楽だ…と思ったら、

サンダーバードに自由席はなかった。

すべてが指定席。

その指定席も大方埋まっている。

少し時間はかかるがここは乗り慣れてもいるし新快速にするか。

 

新幹線の敦賀駅は初めてです。

敦賀駅から山が見える。三内山(521m)らしい。

新しくなった敦賀駅です。東京まで北陸新幹線で3時間54分かかる。
特急しらさぎ米原に出たら2時間56分で行ける。

 

新快速で大阪へ18時過ぎに到着。

大阪は意外に寒い。

あったかいものを入れたい。

ルクアの上に神座があったのを思い出す。

 

のべ三泊四日の旅の〆は神座のラーメン。