泉州岸和田の空は1964年10月10日の千駄ヶ谷の空のように青く高かった。
思わず片手を挙げて選手宣誓をしたくなるような空だった。
「不肖ぷよねこは神さまに与えられた今日一日を存分に楽しむことを誓います!
城マイスターのセルジオ氏と泉州🏯岸和田城と紀州🏯和歌山城を歩き、
和歌山市内に沸く関西屈指の強炭酸塩泉 花山♨️温泉 に浸かった。
3つとも自分の想像以上に楽しめて、100%満足した冬の日だった。
初めてではないが初めてと同じ。
かつては……天守閣を見ては 「あ、城がある」だった。
すでにそこにあるもので、あくまで背景だった。
城を興味深い対象として “意識” して訪れ、楽しんでいる今とは明らかに違う。
いつも近くにいる異性が、あるきっかけで、こちらの意識が変わり、恋愛対象になる。
そんな感じかも。
その意味で10年以上前に訪れた数々の名城、松本城も、松江城も、姫路城も、
大学生活を送った金沢城でさえも、僕は まだ行ったことがない城 ということになる。
この地方、この国に、どんな町が何をもって発展し、どんな物語が紡がれてきたのか?
思いを馳せる行為 をしないと行ったことにはならない。
産業遺産や廃墟も同様に愉しむために必要なのはイマジネーションだと思う。
半世紀前の活況を想像する。
映像が浮かび上がるその場所が、今は荒涼とし、朽ち果てもの言わない遺物になっている。
その現場に身を置き、想像する愉しみ。
駅前の観光案内所で地図をもらい、案内係のおかあさんと少し話をする。
「どこから来はったの?」「大阪市内からです。(笑)」みたいな。
近場の観光案内所へ立ち寄るのも楽しい。
以前、大和郡山の案内所にびっくりするほど美しい女性がいて、得した気分になれた。
そういうときは「愛知県から来ました」と嘘をついて(半分はホント)、質問を多目にするのだ。
*南海電車で手袋を片方なくす。またしでかしてしまった。
駅前の商店街を抜けて、岸和田城へ向かう。
城に近づくとセルジオが「電柱が一本もない」と気がつく。
電柱がないとこんなにも違うのか。
映画のセットのようでもある。
城へのアプローチとしてはいいんでない?
堀の囲まれた岸和田城は想像以上に“いい城”だった。
1954年に市民の寄付で建てられた復興天守だが堂々として美しい。
なにより石垣がいい。
またフォト日記で画像を載せながらキャプションを書こう。
月曜日が休みで天守に登れず、和歌山へも行くので十分な時間がない。
本町あたりの街並も歩いてみたかったが次の機会にしよう。
日帰り圏内、また仕事帰りで可能。
ここにはまた来られるだろうと髙をくくる。
ライトアップした岸和田城も見たい。
サザンの指定は特急料金が必要だが、自由席は不要。
ただし指定席はクロスシートだが、自由席は通勤用のロングシート。
貝塚、泉佐野、泉南、阪南、岬町と過ぎ紀ノ川を渡り和歌山市に着く。
駅から和歌山城へ歩く。
この城も数十年前に出張で和歌山に泊まったときにジョギングで訪れた記憶あり。
でも、いつだったのか? 何の仕事だったのか? 憶えていない。
記憶は美化も汚化(?)もするくせ者なので、どこかと混同してるかもしれない。
ここからは簡潔に記録す。
和歌山市役所の近くでラーメンを食べる。
和歌山ラーメンではなく白とんこつラーメン。
麺が細麺で美味、あったまる。
缶ビールを半分飲む。
徳川御三家55万石の大きな城。
ここも1958年に再建された天守。
連立式天守で小天守、乾櫓、多門櫓と回廊で結ばれている珍しい造り。
*これもまたフォト日記で。
雪が舞い始める。
天守の向かい側にある展望台で城見酒。
歴史館の売店で買った「南方」純米吟醸を保温ボトルに注いで吞む。
これも城めぐりの愉しみ。
動物園、岡山門をたどり、3時前になる。
アプリでタクシーを呼び、いざ花山温泉へ!
セルジオから話を聞いていつか行ってみたいと思っていた街場の♨️温泉。
自噴の強炭酸泉で無色透明だが、空気に触れると鉄分が黄金に染まる。
有馬の金泉と似ているが、ここは有馬より濃厚。
冷えた身体が芯からあったまる。
源泉は26度、加温湯は41度、37度と2つある。
露天は39度と長湯するのにベストな湯温。
26度の源泉に震えながらつかる。
41度と交互に入ると血流がよくなっていくのが自覚できる。
いやあ、とにかく素晴らしい温泉でした。
タクシー代は和歌山城から1350円、温泉からJR和歌山駅1150円ほどだったか。
和歌山駅近くの「多田屋」で旅の打ち上げ。
2時間ほど瓶ビール、日本酒を吞む。
この店のハウス日本酒は「豊冨(とよとみ)純米」
これが200mlで380円と格安で旨い。
いい気分で調子に乗り、もう一軒行ってしまう。
これは余分だったな。
「多田屋」で締めるべきでした。
画竜点睛を欠く。
このトシになったら何ごとも腹七分目がいい。
きょうは “ このまま死んでもいいと思えた日 ”
でも、もう一軒余分に行ってしまったせいでJR和歌山を出たのが20時過ぎになる。
こんなはずじゃなかった。(笑)
寒くて帰りが辛かったので、次の“ このまま死んでもいいと思える日 ” まで、もう少し生きたい。
セルジオ氏のブログにも!