ぷよねこ日々御留書 since2023

「にちにちおとどめがき」 毎日更新 日々の記録です。

2026年1月16日(金) 黄砂の午後、六甲アイランドで…。



誰かの文章を読んだときだったか…

「ぺこりーの」さんのYou-Tubeだったか。

自分の日記にも書いたことがある。

人は二度死ぬ、と。

ひとつは、生物としての死。

もうひとつは、すべての人の記憶から消えたとき。

 

それとは別に、もうひとつの死があるんじゃないか、と最近よく思う。

それは…人が、世界への興味とか、外とのつながりを、少しずつ失ってゆく緩慢な死。

 

一昨年だったか、天理に住む玉戸さんの家を訪ねた。

玉戸さんは当時79歳だった。

以前なら、玄関に入って少し話しただけで、何も言わなくても珈琲を淹れてくれた人だった。

それが、その日はなかった。

しばらく話していても、キッチンに立つ気配がない。

珈琲が飲みたかったわけじゃない。

ただ、その「なさ」が、ひどく不自然に感じられた。

 

「もうね、手紙とか書けなくなったんだよ」

そう言った玉戸さんは、投げやりでも、悲しそうでもなかった。

ただ、事実を確認するみたいな口調だった。

外の世界との糸が、少しずつ細くなっている。

そんな感じがした。

 

それを悲しいとか、淋しいとか、そういう話ではなくて。

スマートフォンのバッテリーが、気づかないうちに減っていくみたいな、

ごく自然なことのようにも思えた。

 

今日、六甲アイランドの美術館に行った。

ミレーやワイエスの絵を観た。

いいな、とは思った。

でも、体調があまり良くなかったせいか、すぐに疲れてしまって、

いつの間にか会場内にあるベンチに座っていた。

 

そのとき、ふと思った。

玉戸さんが迎えていた、あの緩慢な死は、きっと僕のところにも、ちゃんとやってくる。

玉戸さんが特別だったわけでもなく、

僕が例外なわけでもない。

世界とのつながりを探しても、

だんだん輪郭が薄くなって、見えなくなっていく。

今日、美術館のベンチに座りながら、

それを実感をともなって感じてしまった。

 

体調のせいかもしれない。

でも、老化って、結局は身体や脳の不具合の積み重ねだから、

風邪のせい、だけにしてしまうのも、少し違う気がした。

そんなことを考えながら、

しばらく、ベンチから立ち上がれずにいた。

 

午後の六甲山、黄砂に煙っていた。

 

朝、目が覚めても、喉のごっくんがまだ痛かった。

きのうもエスタック・イブを三錠飲んで寝たのに、今回はなかなか手強い。

 

昼過ぎに、水曜日から先延ばしにしていた六甲アイランドの美術館へ行こうか、と思っていた。
電車とモノレールを乗り継いでも四十分くらい。

体調がいまひとつでも、まあ大丈夫だろう。

そのときは、そう思った。

 

起きて、日記を書いているうちに、どうにも気分が晴れない。

身体というより、気持ちのほうが追いついてこない感じだった。

「悪いけど、無理かもしれん。会期もわずかだし、一人で行ってもいいよ」

そう告げた。

言葉にしてしまうと、少し楽になった。

 

食欲もなくて、昼ごはんはパスした。

空腹なのに、何も入れたくない、あの感じ。

でも、一日のうちでも波はあるらしい。

しばらくすると、ふっと、「行けるかも」という気分が戻ってきた。

 

「やっぱ行くわ。気分転換にもなるし」

さっきまでの自分をなかったことにするみたいに言って、急にゴーになった。

それくらい気軽に行ける距離なのが、六甲アイランドのいいところだ。

 

少し厚着をして、黄砂が飛んでいると聞いたので、マスクをして家を出た。

意外にあたたかく、ニット帽も、ネックゲイターも要らなかった。

 

六甲アイランドの中心部、かつてはここも最新の華やかな場所だった…ような記憶あり。

 

         

 

「やすらぎの近代絵画 ーユニマットコレクション ミレーからワイエスまでー」@神戸ファッション美術館

ユニマットというビルのメンテナンス管理をおもな事業にしている会社の創業者のコレクションだそう。

点数は少ないが、ミレー、コロー、ルノワール、ドガ、セザンヌ藤田嗣治ロートレック荻須高徳

らフランスや日本の画家や、アンドリュー・ワイエスまでコンパクトに観ることが出来た。

 

 

気に入ったのは、ワイエスの犬の絵と、オルソンハウスのあるメイン州クッシングらしき入江の絵、

ポスターにもなっているジラールの「散歩」とリシェの「夫人の肖像」の4点。

「夫人の肖像」のモデルは女優の満島ひかりだ。(嘘です)

 

 

 

すぐに疲れてしまい、ベンチに座る。

朝に小さなホットケーキと珈琲を入れただけなのに空腹にならない。

香櫨園駅からの帰り、万代薬店でのどぬ〜るスプレーのマツキヨ版を買う。

小林製薬のものの半額以下だったが、成分はほぼいっしょだった。

それと浅田飴を一缶。

太田胃散、龍角散など生薬をなんとなく信用している。

帰宅後、まだ腹が減らない。

ラジオ体操とストレッチを済ませてしまう。

 

 

Netflix「正体」を観る。

「ある男」や「怒り」を思い起こさせる逃亡、えん罪をテーマにしたサスペンス。

主演は「べらぼう」の横浜流星、いくつもの顔を持つ死刑確定囚。

才能ある俳優だなと思う。

他にも山田孝之吉岡里帆、山田杏奈、宇野祥平山中崇西田尚美、宮崎優ら。

これも「イクサガミ」同様、オールスターキャスト。

ここからはネタバレ含むが…

 

   

 

松重豊が警視庁の幹部として登場する。

これに強烈な違和感。

もちろんそれらしく見えるのだが、僕にとってもう彼はいい人キャラがしみこんでいる。

冷酷なエリート官僚は無理だと思った。

個人的にここだけがミスキャスト、松重豊のせいではない。

 

きょうは美術展でも目の調子が悪かった。

きっと前日に「イクサガミ」全6話をいっき見して疲れていたのだと思う。

目の見え方が日によってこんなに変わるなんて若いときにはもちろんなかった。

 

ここんとこ日記が長い。

 

前浜フォト日記、これくらいでいい。 ▼

shioshioessay.hatenablog.jp

*あまりに長いのでChatGPTさんに半分以下に要約してもらった。

 なんだ、これで十分に伝わるじゃないか、と思った。

 以下にコピペする。

 

 

人は二度死ぬ、という話がある。
生物としての死と、記憶から消えたときの死。
それとは別に、もう一つの死があるのではないかと、最近よく思う。
世界への興味や、外とのつながりが、少しずつ薄れていくこと。
それは悲劇というより、スマートフォンのバッテリーが静かに減っていくような、自然な現象にも見える。

一昨年、天理の玉戸さんを訪ねた。
以前なら黙っていても珈琲が出てきたのに、その日は何もなかった。
「もう手紙とか書けなくなったんだよ」
そう言う声は淡々としていて、外の世界との糸が細くなっているのを、本人も受け入れているように感じられた。

今日、六甲アイランドの美術館へ行った。
ミレーやワイエスの絵は良かったが、体調のせいか、すぐに疲れてベンチに座った。
そのとき、玉戸さんの迎えていた緩慢な死は、いずれ自分にもやってくるのだと、実感を伴って思った。
老化とは、結局、身体や脳の不具合の積み重ねなのだろう。

喉の痛みが長引き、食欲もなく、気分も上がらない。
行くのをやめようと思ったり、やはり行こうと思ったり、その揺れも含めて今日だった。
帰りにのどぬ〜ると浅田飴を買い、夜はNetflixで映画を一本。
目の調子もいまひとつで、若い頃にはなかった変化を思う。

午後の六甲山は黄砂に煙っていた。
日記が長くなるのも、たぶん、そのぶん考えているということなのだろう。

 

もう少しユーモアを足して…

 

人は二度死ぬ、という話をどこかで聞いた。
肉体の死と、記憶から消えたときの死。
最近は、それにもう一つある気がしている。
世界への関心が、気づかぬうちにフェードアウトしていく死。
ドラマチックさはなく、スマホのバッテリーが「え、もう?」という速度で減っていく感じのやつだ。

一昨年、天理の玉戸さんを訪ねた。
かつては玄関に入るだけで自動的に珈琲が出てきた人だが、その日は出てこなかった。
珈琲が目的だったわけではないが、出ないと出ないで妙に気になる。
「もう手紙とか書けなくなったんだよ」
そう言う玉戸さんは、悟りというより、取扱説明書を読むみたいな口調だった。

今日は六甲アイランドの美術館へ。
ミレーもワイエスも良かったが、身体が先にギブアップし、早々にベンチと仲良くなる。
そのとき、ああ、この“ゆっくりフェードアウト型の死”、自分にも順番が回ってくるんだなと思った。
特別な人だけの話ではなく、一般人にも平等に配布される仕様らしい。

喉は痛いし、食欲はないし、気分も不安定。
行く・行かないでしばらく揉めた末、結局行く。
こういう優柔不断も、老化の一種かもしれない。
帰りに安いのどぬ〜ると浅田飴を買う。
生薬を信じるあたりに、年齢がにじむ。

夜はNetflixで映画。
目が疲れて内容よりキャストの年齢を気にしている自分に気づき、少し反省する。
午後の六甲山は黄砂に煙っていた。
世界はまだそこにあるが、ピントが合うまでに時間がかかるようになった。

日記が長いのは、たぶん、話し相手が自分だからだ。