ぷよねこ日々御留書 since2023

「にちにちおとどめがき」 毎日更新 日々の記録です。

2024年12月31日(火) 大晦日、ことし最後の風呂につかって思い出したこと。その話はまた来年に。

晦日

午前中はたまっていた日記を書き、近所の酒屋で「奥播磨」と「盛典」を買う。

西宮市のキャンペーンのプレミアムデジタル券はばたんPayの特典分で買えた。

午後からは自室に掃除機をかける。

夕方、ポスプロ編集のチェックで3時過ぎに出る予定だったが、編集中のA木より「終わりました」とのLINEあり。

1時間後に行く、と返して自転車に乗るもすぐに電話する。

「ファイル便で送ってくれる。それでチェックするわ。」

それなら30分で済む。

大阪へ出なくていい。

先週も僕が自分の編集作業が遅れたためにファイル便にしたのだった。

ATMで現金を引き出し、頼まれていた卵を買って帰宅。

編集チェックを済ませてヒロと散歩に出る。

 

日没は5時半、2024年に別れを告げる。

知らない歌の紅白が始まる。

テレ東では知ってる歌が流れる。

民放をザッピングしながら年越し蕎麦を食べる。

 

2年連続でかき揚げをのせた蕎麦でした。

 

先日、マサオに貸していた「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を回収した。

そこに坂本龍一氏の手記が載っていた。

やっぱり自分にエネルギーがないときはね音楽っていうのはなかなか聴けないですよね
音楽って熱量が高いものなので受け止める体力がないと受け止められないですよね

マサオが毎日の日課のように映画を一本見続けるのは、それなりにエネルギーが残っているのだと知った。

 

アップされる毎に読んでいるブログ「一日の王」にNHKスペ「Last Days  坂本龍一 最期の日々」のレビューにあり、前記の箇所に触れていた。

音楽を愛した、音楽の専門家であっても、
自分にエネルギー、体力がないときには、
音楽を聴けないし、楽しめないというのだ。
これは音楽に限らず、様々なことに当てはまるのではないかと思った。
芸術には、作品そのものに大きなエネルギーが内包されているので、
それを受け止めるには、受け止める側にもエネルギーが必要とされる。

(中略)

老後に楽しみをとっておいてはいけないのだ。
「いま、やらない人は“一生やらない”」という言葉を肝に銘じ、
何事もすぐに取り掛かろう。

 

晦日の夜、風呂に入りながら思ったことがある。

マッカランの面々のことを思い浮かべた。

この年齢での自分は恵まれているよなあ、と。

暮らしていけるだけの毎月の収入がある。

介護すべき母親は末の妹が同居してくれてて自分のことは自分で出来る。

好きなところへ旅行に行ける。

いまのところ健康だ。

望めば限りはないが、いまのままで不足はない。

マサオやセルジオやミネーロやfatfat氏に比べ恵まれている。

 

でも…

いや、そうじゃない。

風呂の中で思い出した。

そうじゃない。

自分の記憶から消し去っていたことが浮かび上がる。

 

この「日々御留書」に書くと長くなる。

また日録が滞留する。

寝床でヒロにこの話をしたら、彼女にも思い出すところがあったようで、

ファミリーヒストリーを長々と語り始めた。

2024年から25年はそんな昔話を思い出しながら寝入った。