老化をスポーツにたとえるのは分かりにくいかもしれないなと思いつつ書く。
メジャーリーグの先発投手にたとえる。
ローテーションは中4日だ。
僕の仕事でも30代〜40代くらいはそんなペースで仕事をしてた。
ん?
分かりづらいか。
週に2日しか仕事してなかったみたいに思われるな。
ま、いい。
中4日で投げるということはバリバリ仕事が出来たということ。
3日休めばバッタリー残量が100%になった。
今はどうだろう?
身体感覚としても、メンタルにしても何か一仕事あると翌日は休みたい。
翌々日はリセットする日にしたい。
翌々日は助走する日にしたい。
3日経っても十分なバッテリーがチャージされない。
中6日か…。
一週間にひとつ何か仕事か遊びが出来たらいいって感覚。
そして、かなしいことにバッテリーが100%には充電できない。
いくら電源につないでも80%、いや60%ほどにしかならない。
そんな感覚です。
65歳を越えて“あわてない”ことを心がけている。
悠々と急げ、を旨とす。
具体的には日頃の活動、歩くこと、外出の支度をすること、取材の準備、これらを慌ててしないこと。
たとえば、歩くときはまっすぐ歩くことに集中する。
立ちあがって同時に何か(眼鏡)をかけるとか、歩きながら着替えをするとかは無し。
つまづかないように、転ばないように、めまいがしないように、ゆ〜っくりと歩を進めるようにしている。
勢いはつけないように一歩一歩心の中で確認して歩く。
ふと、気がつく。
これって老人の動きそのものじゃん。
でもこれが自然なのだ。
もう若くない。
自然に任せるべきなのかも。
そう、人類の生老苦死は大自然の営みの一部なのだ。
巨大な山塊とか、大河とか、大海原に立つと思うことと同じ。
人間の存在なんてちっぽけなのだ。
寿命を縮めるようなことはしないが、自然に逆らうようなことはしない。
それを是とせよ。
午後、局のフロアに顔を出す。
あすの京都取材はA木に任せることにした。
裏天王寺の「スタンドそのだ」へ。
ここは立ち吞みだったのに、いつのまにスツールが出ていた。
メニューも少し縮小されていた。
おそらく人手不足だろうと思う。
上に載せた写真はセルジオが撮影。
さっそうと裏天王寺を歩く。
さっそうが転倒につながることを心しておくように。
帰宅後、マサオから「ワンダーウォール」の感想が届く。
NHKオンデマンドでもういちど観た。
これくらいの長さの小品をさらっと書く渡辺あやの才能にひれ伏す。
自分の学生時代、泉学寮を思い出す。
風呂は一日ごとにしか入れなかった。
そんなときは近くの野町湯へ行った。
野町湯は熱かった。
つながりでドキュメント72時間を見てしまった。
たぶん以前に観たことのある北大の恵迪寮(けいてきりょう)のドキュメント。