8時過ぎに家を出る。
2年前に脳ドックを受け、血管の狭窄が疑われ、経過を見ましょうと半年に一回磁気を浴びている。
ことしの2月以来の診察。
担当医が代わるごとに見立てが少しずつ違う。
「細かった(もやもやしてた)箇所がはっきりと映るようになりましたね。」
そのときのカメラの写り具合もあるのだろうけど、視覚のみだから結構あいまいなものだなと思った。
少なくとも、めまい や ふらつき などの自覚症状はない。
半年前は、ふわふわする感覚があったような気がした。
それが脳血管が原因なのかどうかは全くの不明だけど。
いまのところ深刻ではない。
年相応だということらしい。
半年に一度から一年に一度にしましょう、との判断。
来年の8月、それまで達者でいろよ、オレ。
更新の一環として遠近両用の眼鏡を新調した。
近所の「眼鏡市場」で先日検眼した。
乱視が進んでいるという。
確かに遠くの文字になかなかフォーカスが合わない。
というか、細かい字を読むことをすでに諦めている感覚だろうか。
見る能力が劣化してる自覚あり。
暗いところ、明暗のコントラストが強すぎるところがダメだ。
今回はいま使っているものより軽量、フレームの色はブルーががっているもの。
見えやすく、軽やかになった。
今までのものも同じくスポーツタイプだが、メタルフレームが何カ所かメッキが剥げてきた。
眼鏡を常にかけるようになったのはいつ頃だろう?
たぶん四十代半ばあたりか。
それ以前に旅先で撮った写真を見ても眼鏡はかけていない。
きっかけは映画の字幕がボケてきたこと。
さては…と思ったら乱視だった。
職業柄、編集作業で視力はダメージをくらう。
今までは何とかキープしてたがこれも老化だ。
中継ディレクターをするのに遠くのモニターが見えないのは致命的。
最初は中継卓に坐るときだけ近視、乱視用の眼鏡をかけた。
そのうち老眼も出てくる。
遠近両方という便利なものがあった。
五十代に入った頃だろうか、日常生活でも眼鏡をかけるようになった。
いまではすっかり眼鏡の人、写真にも眼鏡をかけて映っている。
コンタクトレンズは考えたことがない。
花粉症がすぐに目が痒くなるので向いてないと思う。
夕方から三宮へ出る。
呑み場としての三都物語、大阪、神戸、京都。
京都はご無沙汰している。
しばらく夏ごもり状態なので、出て行くのが億劫になる。
かといって約束を破る正当な理由はまったくない。
ボーマン気味かも、は気のせいかもしれない。
酒を飲みたい、という欲求がない、のも気のせいか。
すべては、めんどくさい に集約される。
そうそう、認知症になりかけの人に増える口癖は以下の5つでした。
「なんでもいい」 「めんどくさい」 「もうトシだから」「昔はよかった」 「今の若い人は」
めんどくさいを越えて、2時間後には「唐子」のカウンターに座っていた。
この店へ定期的に来るようになって5年以上になるだろうか。
定番のものを食べるのが至上の愉しみ。
今日はカウンターに店主夫婦の娘さんらしき人が入っていた。
今日のメインディッシュは編成M氏ともに “推しの子” 平野翔子@SONE。
前回は今年の2月だった。
前回にも書いたが、翔子さんはパワーダウンしてる感じがした。
SONEのステージは合わないのかな、とも思ったが…。
次はピアノかギターとのマンツーマンのデュオを聴いてみたい。