昨日はなにか停滞したような一日だった。
終わりかけの頃に忙しくなり、就寝が遅くなる。
きょう、日曜日も始まりは同じように停滞して始まり、終わりかけで忙しくなる。
昨日は一歩も外へ出ず。
今日は夕方、ようやく腰を上げる。
自転車で芦屋中央公園まで行き、公園内を一周ジョグして(1キロ弱だが)、市立あしや温泉へ行こうとするも、
夕食の時間に到底間に合わず、御前浜を散歩ジョグするに留まる。
先日も引用したが、やる気に頼るとこういうことになる。
毎日繰り返す、仕事や勉強、運動は、「やる気」があってもなくても、淡々と実行するのみである。「やる気」を要求すると、かえって敷居が高くなって行動しにくくなる。だから、行動するためには、「やる気」は必要ない。
エッセイスト・山本ふみこさんの「あさってより先は、見ない」という考えに共感。 - 一日の王
ブログ「一日の王」のタク氏は僕よりちょっとだけ先輩。
そんな年齢の親しい人が周りにいないので勝手にアニキ分のように思っている。
昨日の投稿にこんな一文があった。
私は、今夏、70歳になる。
私は、あらかじめある年齢を超えたら、
「もう十分に生きた」と満足する心づもりをしていて、
その設定が70歳だった。
国や保険会社などは「人生100年時代」と連呼しているが、
私は全然信じていなくて、
人間の躰は、内臓や歯や目などの各機能の寿命は70歳くらいだと思っている。
(後は、各人の運と、メンテナンスと、頑張り次第)
なので、今夏、70歳になったならば、
後は私の人生におけるアディショナルタイムになる。
アディショナルタイムがどのくらい残されているのかは分からない。
アディショナルタイムが終了しても、延長戦に入るかもしれない。(笑)
それでも決着がつかなければPK戦に突入するかもしれない。(爆)
いずれにしても先のことは分からないのだから、
一瞬一瞬を大切に、「今を精一杯生きる」しかないと思っている。
僕にももうすぐ規定の前後半90分の笛が鳴る。
人生のアディショナルタイムに入ることが出来るか?
「あさってより先は、見ない」山本ふみこ
「一日だけよく生きる」水上勉
「積極的その日暮らし」落合恵子
あしたは何をしよう?