相模、伊豆の2泊3日から帰る。
2泊でも疲れてしまう自分が情けない。
A部氏は函館、小樽と6泊の旅に出て元気だ。
ま、仕事がらみだから疲れるのだと自分を慰める。
伊豆の旅はくわしく書くと長くなるので割愛するが(いつか記したい)、
自分自身のあの頃を振りかえる回想モードに陥ってしまった。
過去に伊豆を訪れたのは奇しくも行き詰まった時代だったことを思い出す。
最初が大学生の頃、1980年代始めで観光バスのバイトで伊豆へ行った。
次がその十年後、1990年代始めだった。
その二つの時代の日記(もちろん手書き)を引っ張り出して詳細を確かめる。
観光バスのバイトで大川温泉のキムラヤという旅館に泊まっている。
確か宗教法人の霊友会の信者を送るバスだったと記憶する。
大川温泉は調べるときのう通過した熱川温泉の北にある。
二回目の伊豆はフジサンケイゴルフの取材で川奈へ行った。
泊まったのは伊東だと思うが記憶は定かではない。
日記にどこへ泊まったのかは記されていない。
結婚しようと思っていた彼女に振られてウジウジしていた頃だ。
日記を読み返す。
自意識過剰、世間知らず、無教養…。
読むに絶えない呪詛の言葉や責任転嫁の記述。
この男の人生の最大関心事は減量、そういえば当時そうだった。
ストレスで過食、加速度的に体重は増えていった。
見えてくるのは醜く肥った自己チューの男。
とてつもなく悲しい日記だった。
正直、驚いた。
うす汚い文面から見えるのはクズみたいな若者。
いやホント、マジで、ここには書けない。
連続通り魔事件の犯人が犯行直前につけていた日記だと言われても、さもありなん、となる。
ブログは生活の体幹を支えている、と以前に書いたが、日記を書いていたらそれでいいというものではない。
それがいつから真っ当になったのか?
かつてWEB版になって10年経ったころ、こんなことを書いている。
10年続いた。
そのアイデアを実行してよかった、と心から思う。
いろんな出来事があった。
自分が入院したり、母や嫁が乳がんの手術を受けたり、身内を亡くしたり、震災や津波も他人事じゃなかった。
大きな破綻なく生活をコントロール出来たのは、愚直に日記を書き続けていたからだと思う。
(日記は生活における体幹の強さを鍛えてくれたのかも)
いや、それだけじゃない。
毎日アップを自分に課して過ごした10年は、その前の10年より楽しかったような気がする。
暇さえあれば一人で海外へ遊びに行ってた若いころより、ずっと幸せだったかもしれない。
日記をブログとして公開することで他人とのつながりも強くなった。
同世代の友人、年若の友人、遠くに住む友人、まだ会ったことのない友人、
自分を取り巻く人々と同じ町に住んでいるような感覚だった。
47歳から56歳、普通なら友達が少なくなっていく季節に反対に新しい友達が増えていった。
この10年のMVPは間違いなく“毎日 日記を書き続けたこと” だろう。
あ、そうそう。
2003年に日記をブログという形で公開しはじめて数年は、
エディターソフトで書いてからブログにアップしていた。
当初、公開するものと非公開のものと多少は区別してたと思う。
そこには黒いぷよねこもいたと思う。
公開するようになってしばらく経った。
いつからだろうか?
とりててて、秘すべき嫌悪も、恨みも、愚痴も、消えてしまった。
公開している自分が、そのまま本当の自分になった。
隠していることは…全く無いとは言えないが、概ね自分だ。
他者への嫌悪が薄まった。
これも日記の効用だろうか。
それと…玉戸さんからもらった手紙にも、結婚してからシオダは変わったよ、とあった。
「前はなんか変だったよ」(なんという表現かは忘れたが)と。
今日はオフ。
終日家にいた。
伊豆の写真の整理も先送りにした。
その割には疲れはとれない。
熱海で買った鈴廣の蒲鉾で日本酒を少し飲む。
それだけで満足する。